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No95454 の記事


■95454 / )  Re[4]: 魏志倭人伝で遊ぼう の 3
□投稿者/ GENANA 大御所(15702回)-(2012/08/20(Mon) 09:36:18)
     まず,確認しておきます。
    「乍南乍棟」と「混一疆理歴代国都之図」についてが課題です。

     議論において、解答に窮すると、別の事例や仮説を持ち出すことで論点をすりかえるようなことはお互いにやめたいと思います。

    @「乍南乍棟」について
     乍南乍東は西暦200年代に一般的にそのように読まれるのかという私の質問に対しては、
     『西暦200年を分析する資料が他にあるなら教えてくれ。』
     『「乍南乍東」が『南は東』とすることは、一般的であったか否という質問は君の単なる押し付けだ』
     という書き込みを経た後に
     『魏(ぎ)の張揖(ちようゆう)撰の辞書の廣雅でも
    孟子の一節の乍を暫也。と解釈している。
    説文解字。{後漢の許慎(きょしん)の作で和帝のとき(紀元100年/永元12)に成立。}によると暫は不久也。とある。
    清代の段玉裁は、暫の不久也は今俗語云霎時,即此字也と注をいれている。
    乍南乍東の乍の挿入記述は南は東と読むには一般的であるとはいえないが
    即南即東と乍に即を置換可能であるから
    俗語としては南は東と読むことがが可能だ。』
     という書き込みがなされている。

     やっと、ここで『乍南乍東の乍の挿入記述は南は東と読むには一般的であるとはいえないが・・・』と私の質問に答えている。一般的には読まないが、あえてそのように読む必要性が全く私には理解できない。他者に主張を納得させようとするならもっと合理的な根拠を示すべきである。

     もしも『魏(ぎ)の張揖(ちようゆう)撰の辞書の廣雅でも・・・・・・
    ・・・・・・語としては南は東と読むことがが可能だ。』だが、その根拠であるとするならますますおかしい。

     『孟子の一節の乍を暫也。と解釈』     →「乍は暫である」
     『暫は不久也。』             →「暫は不久」
     『暫の不久也は今俗語云霎時,即此字也』  →「不久は即」

     上記については、「孟子の一節の乍を暫也」は「乍A乍B」で表記されている文章に対してなのか検証ができない。
     「暫は不久也」とあるが暫は「不久」としか読めないのか。他にも読み方があるのではないのか。
    「暫の不久也は今俗語云霎時,即此字也」は、魏志倭人伝をどうして俗語で読まなければいけないのか。
    「今俗語云霎時閨vは、1600年代に建国された清の時代の書籍で俗語とされているが、魏志が書かれた時代でも俗語で「即此字也」だったのか。

     どんどん、疑問点が増える。なぜこのように疑問点が増えるかというと、思考法において、ある命題を持ち出し、その命題に適合する事例だけを示すことで、命題が真であると主張するからです。どんなにたくさんの知識を披瀝しても論理的な構成がなされていなければ他者は納得しません。

     「混一疆理歴代国都之図」については後で書きます。
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