| > 暇もてあましているうささんどう思う。
このイシューに関してはすでに私の見解を明らかにしていますよ。まあでも4行以内で再度お応えしましょうか?そうもいかないか。
いろんなことを言う人があちこちにもいるようですが、重箱の隅を楊枝でつっついて、あげくが重箱を叩き壊すような論調だと思いますね。 たとえば「南京大虐殺」に関して、「30万人という数字は疑問がある」したがって「それはなかった」=つまりゼロだった、というような。 このツィッターの主も、尖閣(釣魚)島について、日本が領有を閣議決定するにあたってもそれ以前に中国側が島の名前を命名してことを知っていたということのようですね。 近代的な国家概念などというものが存在していなかった東アジアの当時の状況のなかで、先行的にそうした西欧的国家を模倣してスタートした明治政府が対外戦争に乗り出しはじめた日清戦争のときに、当時の清朝側が名前をつけていた島を、まだそれは近代国家としての領有ということではないとして閣議で自らの領土と決定した。だから日本の領土だ。 いまだにこのような主張でぶつかりあい、角突き合い、偏狭な民族感情を相互に煽り立てあうような関係はやめにしたほうがいいんじゃないですかというのが私の論点といえるでしょうね。
司馬遼太郎は昭和期の軍閥の跋扈などには批判的だったようですが、日清、日露戦争のころまでは「健全な国家形成」にあたっていたような言い方をするようです。このへんにも依拠してリビジョニスト(歴史修正主義ー「新しい教科書を作る会」のような)があらわれてきたように思います。 しかし本当にそうだろうか?近代国家としての明治期の形成にあたっても歪んだものがあったからこそ、後に「満蒙は日本の生命線」などといって軍国主義と批判されるような行動に走ったのではないかな。
最近、元首相の麻生太郎が日韓議連かなにかで韓国を訪問して、「歴史認識の相違は相違として未来志向の関係を」とか発言したとかで、その中身抜きの放言には驚かざるをえないかった。 歴史認識の相違、つまり日本の近代国家としての形成にあたっては歪みもなかったし、迷惑をかけることもなかった。(だから戦前と同じようにまたやりますよ)などということを言っておいて、握手しましょう(それを受け入れなさい)と言っているようなものでしょう。
領土問題については、EUの経過、仏独間の領土問題を共同開発で解決してきたということを見習うしかないと思いますね。 さもなければ、仏独間の領土問題をも含めての問題からひきおこされた20世紀の二度の世界大戦を繰り返すしかない。戦争で領土問題を解決するんですか? 今年のノーベル平和賞がいろいろ論議はあるにしてもEUに授与されたということはそういう意味もあるのだと思います。
うさ
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