| 朝日新聞も昔はこんな記事を載せていました。
マツクアーサー元帥の年頭の言葉には、春風と秋霜とを同時に感ぜしめるものがある。いさゝか過賞の感じがせぬでもないが、ほめられながら激励されるのは決して暗い氣持のするものではない。 日本人に関する日本人の評論は、とかく厳(きび)しすぎる傾きがないでもない。それは、内側からの自己反省でもあるのだから、当然のことではある。しかし少々薬がきゝすぎて、日本人がとかく悲観的になりすぎるきらいもないではない。どうせダメなんだという劣等感をいだくようになつては、日本の再建は覚束(おぼつか)ない。日本人のいゝ所を見つけて温かい愛情の感ぜられる評論が、今の日本にはもつともつと必要なのではなかろうか。 正月のお年玉として、國旗の掲揚が無制限に自由になつたことは、やはり楽しいことである。 正月の町や村に門松が立ち晴着姿の羽根つき風景があつても、門毎に日の丸の旗のひるがえつていないのは、画龍点睛(がりょうてんせい)を欠くの観があつた。 この数年間は、國旗のない日本であつた。 國旗を掲げるのにその都度(つど)一々許可を得るのでは氣のすゝまないのは偽りのない國民感情である。講和條約の締結までは、自由に國旗を立てられる日は來ないものと実はあきらめていた。 しかし今、日本経済自立への旗印として、マ元帥は日の丸の旗を完全にわれわれの手に返還してくれたのだ。 忘れられていたこの旗の下(もと)に、われらは耐乏の首途(かどで)をし、再建と自立への出発をするのである。 さて國旗は自由を得たが、國民の手に國旗はない。戰災で國旗を失つた家々は、立てようにも國旗がなく、この喜びを分つこともできないのだ。 マ元帥は國旗の自由をはなむけした。政府は國旗の現物を配給すべきである。 1949年1月3日天声人語
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