| >歴史修正主義という言葉は知っているかな?すでに歴史的事実とされていることに対して、それは違うと言い出す立場のことだ。
また、始まりましたね。自分の意見を迎合してくれない人に対するレッテル付けが。本来の論争のやり取りでなくて、違うところで論争を始める。
まぁ、いいでしょう。おつき合いします。 「歴史修正主義って言葉を知っているかな」ですって。偉そうに言ってますね。あなたこそ、歴史修正主義って知ってますか。あなたがよく使うウィキに下記のように書かれています。
『歴史修正主義(れきししゅうせいしゅぎ、英: Historical revisionism)とは、下記のような意味である。単に修正主義とも言うが、ここでは曖昧さ回避のために歴史修正主義とする。』
『・新しく発見された史料や、既存情報の再解釈により、歴史を叙述し直すことを主眼とした試みのこと。(歴史学における用法) ・従来の歴史観と違う歴史観を主張する者に対して「客観的な歴史学の成果を無視し、自らに都合の良い過去は誇張や捏造したり、都合の悪い過去は過小評価や抹消したりして、自らのイデオロギーに従うように過去に関する記述を修正するものである」として批判する場合に用いられる言葉[1]。(通俗的な用法)』 『歴史学においては、歴史修正主義とは、新しく発見された史料や、既存情報の再解釈により、歴史を叙述し直すことを主眼とした、歴史学における試みの一つを表す。一般には、伝統的な歴史解釈に対し、別の可能性(仮説)や、可読性(読み方)を提示する試みをいう。改訂された叙述が正しい(正しく改訂する)という、価値判断に関わる意味は含まない。revisionは、改訂・校訂(版)・修正・復習などの意の名詞であり、日本ではrevisionismをマルクス修正主義に対応させることが多いが、本来的な用法ではない。
元々、歴史修正主義あるいは修正史観という言葉は、それまで主流的であった歴史観を再検討した上で新たに提示された歴史観を表す言葉であった。自国の歴史を肯定的に捉え直すものに限って用いられる用語ではなく、また思想的に偏向した歴史観に限って用いられる用語でもなかった。古くは第一次世界大戦におけるドイツの戦争責任の再検討などが挙げられ、また戦後にはアメリカで行われた、アメリカの自由・人権への貢献を強調する歴史観を再検討し、アメリカにおけるマイノリティ集団の歴史的意義に注目する動きが歴史修正主義と呼ばれていた[2]。 上述のような学術的用法に対し、通俗的な用法として、ある特定の歴史家が、反対者の歴史観に対して、否定的な印象を広く一般に植え付けるためのレッテルとして用いることがある[3]。この用法による「歴史修正主義」とは、「客観的な歴史学の成果を無視し、都合の良い過去は誇張や捏造したり、悪い過去は過小評価や抹消したりして、自らのイデオロギーに従うように過去を修正するもの」であったり、「既に修正された歴史観の再修正をするもの」という意味で使用される。つまり、意味内容としては、ほぼ「否認主義」の類義語・同義語として用いられている。
従来の歴史観を持つ者が、違う歴史観を唱えた人物に対して、特定の史料の矛盾を根拠に仮説全体を否定しているとし、特にその背後に特定のイデオロギーによる「ねじれ」が働いていると判断した場合、その歴史観を「否認主義」や「歴史修正主義」と呼ぶことが多い[4]。また、実証的・客観的・論理的・科学的・学問的に構築された歴史学のモデルから逸脱し、特定のイデオロギーに沿って独自の修正を加えている思想・歴史観であるとして蔑称するときに用いられることもある[5]。ただ一部の人間に都合のいい修正の場合は「再評価」などと言われることもある。
元々歴史修正主義とは上記にある「歴史学における用法」のように「新たに歴史を検証する試み」であり、否定的な意味は持っていなかったが、西欧においてホロコースト否認論者たちが自らを「歴史修正主義者」と規定したことから、否定的な言葉として使われるようになった。日本では1990年代後半から、南京大虐殺などの存在を否定する勢力を、それを肯定する側が批判する言葉として使うようになり、これは西欧のホロコースト否認主義の連想が働いたためとも言われている[6][7]。』
あなたの歴史修正主義とは主張の異なる相手をレッテル付けして十把一括りにして批判するためだけの言葉にしか過ぎない。
真摯に相手の主張に耳を傾け、話をしていこうとする者が論争相手に対して言うべき言葉では無いですね。
最後にもう一言。 「歴史修正主義」「ドイツ授権法」「一次資料」とか小難し言葉を使用するときは言葉の本来の意味を再確認されて使用されたほうがよろしいいと思います。
>南京大虐殺についても東京裁判で裁かれて殺された人の数は論議の余地があるとしても(日本側の歴史学者やジャーナリストで中国側発表の30万人をそのままに受け取る人はまずいなようだといえるとしても少なくとも3万から6万くらいの間でしゅうれんしてるようだし、それこそ一次史料を精査し積み上げて10万を超えるという論考もあるようだけど)それが大規模な非戦闘員の処刑、敗残兵、捕虜の処刑であったということは歴史的事実として確定し、東京裁判の結果を受け入れてサンフランシスコ講和条約を結んだ日本国家はその事実を受け入れているのでしょうが。
講和条約では東京裁判や千島列島の帰属について承認しています。敗戦により占領されている国が独立するために、それらを否定することができると考えているのですか。 鎖国から開国へと移った時代に、独立国でありながら不平等条約を結ばざるをえなっかたこともあります。 ましてや、無条件降伏した日本が講和条約により独立国として再び歩き出すために、呑まされた煮え湯だとは思わないのでしょうか。
事実を受入れているとするなら、東京裁判で戦犯とされた人々の名誉回復が国会決議で行われているのはどうしてですか。
戦勝国による敗戦国への懲罰裁判に対して、あらためてその理不尽さを指摘することが歴史修正主義者と呼ばれるなら、喜んで呼ばれましょう。
>その延長に村山談話がある、現安倍政権はときおり見直しなどということを言ったりしてるがいまだに見直しまではやっておらない。 ヒロさんは私の言説がプロパガンダなどというが、歴史修正主義からする、南京大虐殺など無かったなどというほうが、プロパガンダですね。
歴史修正主義という言葉こそが、プロパガンダだということが分かっていないようです。
>でもって、GENANAさんは戦争に虐殺はつきものだなどということによって、犯罪的事実としての南京大虐殺をあいまいにし隠蔽しようとする、歴史修正主義の立場に寄り添おうとしているのは明らかと思われる。
100歩譲って、貴方の言う歴史修正主義者に私が寄り添っているとして、それのどこが悪いのでしょうか。 「新しく発見された史料や、既存情報の再解釈により、歴史を叙述し直すこと」のどこが悪いのでしょうか。
>たとえ南京事件での中国側死者が5万人だったとしても大変な数であり、1945年3月10日の東京大空襲での死者10万人として無辜の非戦闘員を空襲という形で虐殺したと弾劾するのであれば、どうして南京で5万から10万、日本の学者でも20万の死者が出たのではないかといわれている事件について、20万しか住民がいなかったはずなのに30万人殺されたと言ってるからすべて捏造だなどと言うことがいえるのか?
南京で5万から20万の死者がでたという日本の学者がいると言うことですが、それはうささんが言っているように中国側の死者数についてですね。それも「でわないか」と言われているのですね。まぁ、我々のレベルでは仕方がない話です。
「20万しか住民がいなかったはずなのに30万人殺されたと言ってるからすべて捏造だなどと言うことがいえるのか?」については、その通りです。
全て捏造だというなら、根拠を示せばいいのです。 同様に、30万人殺されたというなら根拠示せばいいのです。
>私は歴史学者でもジャーナリストでもないから膨大な第一次史料を積み上げていって検討するなどという立場にはないから、歴史修正主義者の撒き散らす害毒に対抗すべくネット上で開かれているサイトにアクセスして、それを自ら考えて検討し妥当だと考えるから、コピペもするしURLも貼り付ける。
また言ってるね。「歴史修正主義者」ってことばの本来の意味をよく知らずに、相手をレッテル付けする。昔、アホな左翼が反対者に色々なレッテルを貼り付けて攻撃していたことを思い出しますね。
>それが自分の頭で考えもせず、自分の言葉で語っていないということになるのかね?そうはならんだろうが?中身について議論しなさいよ。 あらためて、コピペするけど 『 否定派のウソ 5 「当時の南京の人口は20万人しかなかった。だから30万人も殺せるはずがない」
「事実」 否定派が20万人というのは南京安全区委員会が1937年12月17日付け文書で「もし市内の日本兵のあいだで直ちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者がでることはさけられないでしょう」と書いてあることによる。しかし、これは南京陥落後の安全区内に非難収容された人にかぎった数であり、南京大虐殺以前の南京市の人口ではない。 南京市は「城区」(市部)と「近郊区」(県部)にわかれる。城区に限っても1937年11月23日(日本軍制圧直前)に南京市政府が作った文書には人口約50万人となっている。 さらにこの後、避難民の流入もあり、日本軍に包囲された中国軍の兵士も15万人いた。 戦前、城区の人口は約100万人、近郊区の人口は約130万人という数字がでている。 そもそも30万人殺したか1万人殺したか数が問題なのではない。日本軍の残虐行為があったかなかったかの問題なのである。南京大虐殺の犠牲になった市民・農民・兵士は一人ひとりの個人であり、名前をもった一度だけの人生を生きていた人たちである。個人の犠牲を考えれば、一万人、四万人、二十万人、三十万人という数の問題はあまり意味をもたない。』
よく考えて、コピペしたらどうでしょうか。 事実と意見の区別がつかんよ。冒頭の「事実」って何を指してるのでしょうか。
中身を議論して欲しかったら、事実と意見が区別できるようにしてください。
>戦争は残虐なものだから虐殺一般はどこにでもあるといってすませるならば、東京大空襲やドレスデン絨毯爆撃、広島長崎をどうして弾劾できるのかね?
「すませるならば」って、だれがすましているの? おかしなことを言っちゃいけないよぉ。 すませないから論争が起きるのでしょう。
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