| 私は、移住前に義弟、義妹のところを訪ねた時に、彼のことを聞かされて会いに行きました。 当時は、彼がお決まりのようなストーリーで、マニラでサリサリを7軒も出した結果、元の嫁さん一家に食いつぶされて、裁判を起こしてリーガル・セパレートを獲得、セブに流れて来てボルフォオンに住み着き、そこで今の奥さんと出会って、小さなサリサリから再起を仕掛けた数年後だったんです。
最初に会って話をした頃には、以前の酷いことからマイナス・イメージの話をされてましたけど、ワテが移住してから再び会いに行った時には、子供も2人出来ていてスッカリ前向きの話をされるようになってましたよ。
彼の言では、こちらの小売りは、小学生以下のレベル、日本の小売りは大学生レベルと言っておられたし、ワテも同感でしたね。
彼は、良く働く従業員を会社組織の役員メンバーにして、もっとやれば帰って来る仕組みにしようとされていたけど、こちらの人のレベルが余りに違いすぎてこれは実現出来なかったみたいですわ。
しかし、彼の店で買い物をしたら、従業員は「ありがとうございました。」を言いますし、お釣りを放り出すことはなかったですよ。 こんな当たり前のことすら出来るまでには長い時間が掛かったそうですけどね。
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