| >つい、気張って持てあますような大きな石を、助走をつけて放り込んでしまう。投げてから、あまりの水しぶきに腰抜かす。小さな石をそっと落とすだけでも池中に波紋が広がるのに十分。わかっていてついやってしまう。とうとう、堪忍袋の緒が切れて池の主の亀さんが現れる。
> 『石の投げ方勉強してこい!』
アハハハ、GENさん、なかなか面白いご意見でんがなぁ。 この場合、池の主ってのは、ワテのことになりますんかぁ? もしも、そうだとしたら堪忍袋の緒なんか切れるほどではおまへんけど、とかく日本人は議論が下手なようですね。(ワテがその見本でんがなぁ)
>> 最初に戻ってですが30歳も40歳も年の離れた若いフィリピナと外国経験も少なく言葉も話せない日本人の親父がお金の魅力で結婚するのになぜ寛容なのでしょうか。 >> 社会には、自浄作用があって社会の存在を危うくすることには、敏感に反応していきます。 規制であったり、法律であったり、モラルであったりと言葉は、違いますが、強弱は、あれ同じことです。 >> もし日本社会でお金の魅力で同じ事が起きるとしたら人々は、寛容になれるでしょうか。
>上は端折りましたがこの一連の文章で貴方の言いたい事を私の想像を交えて要約すれば、 >「貧しいけれど朗らかで純真なフィリピンの若い子を経済力のまさった日本人が金にあかして我が物にする事は社会の規範として許されていいのか、同じ事が日本で起こったとしたらそれらを認めるほど日本の社会は甘くないぞ。」 >と言う事でしょうか?
KANさんが、質問されている相手とは違いますが、ワテの思うにそうは言っておられないかと・・・・・ まず、>『外国経験も少なく言葉も話せない日本人の親父がお金の魅力で結婚するのになぜ寛容なのでしょうか。』に関しては、フィリピン女性が年齢差の大きい日本人の親父(これは、KANさんを意識していないことは既に書かれてます。)が、寛容なのでは無く、フィリピン女性或いはその周辺が寛容なのか? と、問われているのかと。(ワテは、当然、貧困からの脱出が叶えられると思う意識があるから、と見ます。) まず、これを考えた上で、同じことが日本であった場合に、そうした寛容さは別の条件に変えられるでしょうから同じ条件が成立するでしょうか? と、問われたのかと理解してますけど。
堤清二さんの求愛ならどうする? ヒロ
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