| ■No30310に返信(ヒロさんの記事) > 鉄筋1本、屋根板1枚でも持ってくからね ヒロ
それ泥棒ちゃいますよ。
人が住んでいない、人が守っていないいう事は、大して重要な物じゃない、とこちらの人は考えるんじゃないでしょうか。
わても一度住んでいたニッパハットが突風でつぶれた事があるんですわ。 そん時周りの家も吹っ飛んで、いろいろと面倒見ないといけない人もいて忙しくて、自分の家には特に高価な物も置いてなかったんで後回しにしたら、近所の子供にいろんな物もってかれましたわ。 みんな普段から付き合いがあるええ子ばかりですよ。
そりゃいくらわてやて腹たちまんがな。 家ひっくり返っていろんな物使えんようになって、大損害や言うのに、子供達が火事場泥棒みたいな事すんやから。
そんで、大騒ぎしてなくなった物探し始めたら、(たいしたもんやおまへんのやけど、それなりに思い出のある小物とかです)みんな子供が持って行った事がわかったんですわ。
ショックでしたよ。
でもそのときの子供と親の対応が大抵”え?どして?”みたいだったのです。どうにもおさまりきれない苛立ちが消えず、どうにか自分の気持ちの折り合いをつけようといろいろ考えていて思ったのですが、それは自分の価値観で考えるからショックなんで、彼らにとっては悪い事ではないのでは、と思ったのです。
海に漁に出て、海から流れ着いた物を拾って生きている彼らにしてみれば、囲って守っていない物は資源であり拾った人間の物だ、という感覚が自然に身についているはずで、それは海のそばに住んでいない人でも、正業の収入だけでは生きてゆけない人にとっては基本的におなじ事なんだ、と。
お金だろうが食い物だろうが余っている物はみんなで別け合おう言う事ですわ。
日本人や先進国に人たちは余裕があるから、余っているのではなく準備していると考えていても、彼らの生活では 準備すると言う事は次の食事位までの将来に対してだけで、将来に対して準備するという感覚は極端にその機会が少ないのですから、感覚に違いが出来るのだと思うのです。
基本的には野生に近いということなんでしょうね。手の届く所にあるものは手に入れようとする。
物を持つ側の対応策は手に届かない所に隠すしかないという事になるのでしょうね。
国際人の感覚では泥棒でも、フィリピンでは資源の有効利用でっせ!
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