| >でもそのときの子供と親の対応が大抵”え?どして?”みたいだったのです。どうにもおさまりきれない苛立ちが消えず、どうにか自分の気持ちの折り合いをつけようといろいろ考えていて思ったのですが、それは自分の価値観で考えるからショックなんで、彼らにとっては悪い事ではないのでは、と思ったのです。
>海に漁に出て、海から流れ着いた物を拾って生きている彼らにしてみれば、囲って守っていない物は資源であり拾った人間の物だ、という感覚が自然に身についているはずで、それは海のそばに住んでいない人でも、正業の収入だけでは生きてゆけない人にとっては基本的におなじ事なんだ、と。
>お金だろうが食い物だろうが余っている物はみんなで別け合おう言う事ですわ。
>日本人や先進国に人たちは余裕があるから、余っているのではなく準備していると考えていても、彼らの生活では 準備すると言う事は次の食事位までの将来に対してだけで、将来に対して準備するという感覚は極端にその機会が少ないのですから、感覚に違いが出来るのだと思うのです。
>基本的には野生に近いということなんでしょうね。手の届く所にあるものは手に入れようとする。
>物を持つ側の対応策は手に届かない所に隠すしかないという事になるのでしょうね。
>国際人の感覚では泥棒でも、フィリピンでは資源の有効利用でっせ!
フムフム、ある部分理解出来る。 しかし、所有に対する感覚の違いは解せない。 分け合おう、と言うのは持ってる者の意思があってのこと、そうで無ければ奪い合おうになる。
まぁ、資源の有効利用と言うのは判る。 そやけど、こちらの人ほど物を壊すのもなんかおかしい。
>ということは、なかには対応策として撃ち殺すという選択しも出てくるのでしょうね。 >他のアジアの国でも同様な傾向を示すのでしょうか。他の国の事情に詳しい人いないのかしら、聞いてみたいな。
> 助け合うとは異なるような気がします GENANA
最近、来られませんけど、大NOBUさんから伺った話ですけど、あちら(バギオ近辺かパンガシナン)では、牛泥棒が出ると銃撃戦になるそうな。 泥棒に行って、撃たれた人の身内が仕返しにも来るそうな。
奪い合いがあって、身内の助け合いがある。 ヒロ
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