| >生き方の問題であって、私は移住とは別の問題だと思います。
いんや、別ではありません。海外移住も一つの生き方の選択です。私が言いたいのは、フィリピンに来てまで自分の屍の心配をしなければならないような、不安な生き方はこの国には似合わない、と言いたいのです。
自分でその屍を放置した日本人は、それはそれでしょうがないことです。それ以上は言えないでしょう。だって、彼は死んだときは思考力がゼロな訳で、その事件を知った日本人が色々な発想を生みだし、自分が死んだらどうしよう、ああしようと思い立つのが日本人的発想だ、と言ってるのです。
いや、それがいいとか悪いとかではなく、自分が死んだらこの国の人々が処理してくれるような日頃のつきあいを大事にして、この国のしきたりに任せることにし、自分の遺体の母国搬送まで考えるのはどうかな、と言う意見なのです。
だから、海外移住した人間は、自分の死後どうして貰えるか、日々の生き方にかかっている、と言いたいのです。
伴侶や配偶者がいなくても、それなりのつきあい方をしていれば、最終的には屍位は処理してくれるものです。
その屍をさらした日本人の生き方は分からないけど、結論としてそう言う生き方をした日本人だった、と言うことになります。
そう言うような心配がある人は、母国搬送まで考えればいい。それは自由だけど一般論としては首を傾げたくなる。
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