| ヒロさんがお休みのようなので、取りとめのない話を書かせていただきます。
「フィリピン人は言葉を覚えるのが上手」と以前から思っていたのですが、それはきっと元々多くの言語を使い分けているので、言語の違いに対して抵抗感がない事がフィリピン人のアドバンテージなのではないか、となんとなく感じていました。
それに引き換え、多くの日本人は中高で6年、大学まで入れれば10年も勉強しているというのに海外に出てもほとんど会話が出来ない人が大勢です。
私はフィリピンに来て日本人にビサヤ語を教えたり、フィリピン人に日本語を教えたり、という場面に関わる事が多かった事に加え、自分の子供の言語の教育をどのようにすれば良いのか、といろいろな人の意見や体験談を聞きまくった時期がありました。
当初は「子供が頭のなかできちんと物事が考えられようにある程度の年齢(18歳くらい)に成長するまでは一つの言語できちんと教育した方が良い」という聞きかじりの知識にかなり影響を受けていました。
しかし、実際に国際結婚で生まれたハーフや、成人するまでに日本とフィリピンの両方での生活経験がある人達の話を聞くと思考と言語はあまり関係ないことがわかって来ました。
私自身日常会話程度のビサヤ語を使いますが、ビサヤで話している時に頭の中で日本語で物を考えビサヤに変換していたのは、ビサヤを覚える段階での事で、今では特に意識していません。
それに気が付いたのは私がフィリピン人と日本人と混ざってビサヤ語日本語の両方を使いながら話す場面などで、知らないうちにビサヤ語で日本人に話し掛けていたりする事があるからです。
つまりコンピューターなどと同じで、頭の中で言語で考えているのではなく、考えた事を言語にして表現しているような部分がありそうだ、という事です。
セブの日本人家庭にいるフィリピン人がビサヤ語、タガログ語、英語、日本語を平気で使う事に対し、語学の才能がないと自覚している私は最初は「凄いな」としきりに感心したのですが、最近になって実は日本人も同じような能力があるのだ、という事に気が付きました。
勿論方言などもそうですが、私がフィリピンに来て感じたのは日本の敬語です。 英語やビサヤ語には敬語と言うものがあるのかもしれませんが、日常的に意識しなくては会話が不自然になる、という事はありません。
しかし、ほとんどの日本人は意識せずとも相手や状況によって敬語を使い分けています。
もちろん言語が違う場合は文法の違いも発生しますので敬語による違いとを同じにはできないのでしょうが、おなじ意思を伝えるのに言葉が変わると言う意味では、フィリピン人と日本人は同じような作業を脳のなかで行っているのかもしれません。
日本人が英語を使うのが苦手なのはやはり文法にこだわるからなのかもしれませんね。
|