![](./icon/niwa3.gif) | 2010/10/21(Thu) 21:10:24 編集(投稿者)
満州事変
満州における排日運動が強まるにつれ、日本人と支那人の間の衝突が増加し続け、関東軍が後ろ盾の支那軍閥との関係も微妙になった時期に起きたのが 柳条溝[柳条湖]事件 この事件をきっかけに関東軍が満州を占領する事になります。
「関東軍の1万数千人に対し、張学良軍は30〜40万人いたのだが、張学良軍は、シナの軍隊の常である馬賊・匪賊の寄せ集めで満州の民衆の支持をまったく得ていなかった。張作霖・張学良時代、満州の民衆は悪政(国家予算の85%が軍事費、数年先分までの税金の前払いを強制、など)に苦しめられていたために関東軍は難なく満州を占領できたのである。」
この柳条溝事件は、反日日本人にも日本非難の根拠を与えていますが国際連盟の リットン調査団の報告書では、 「これは侵略戦争と簡単に言えない」と書いてある。日清戦争の頃から日本は満洲に対する特別の権利があって、その後、権利が複雑に絡み合っているため、侵略とは言えないと言っている訳です。
「当時の国際連盟の代表たちが判断して侵略ではないと言っているものを、東京裁判では共同謀議の一環とした。これは極めて無理がある見解で、パール判事もそこを鋭く突いている。」」
中華人民共和国は満洲事変を「九・一八事変」などと称して反日抗日のシンボルとし、毎年9月18日は国辱記念日としているが
国際ルールでは、日本は、侵略国家では、ありません。
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