地球の田舎暮らし掲示板
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No66238 の記事


■66238 / )  Re[16]: 侵略国家の象徴だから、日の丸は・・・・・2
□投稿者/ うさ 大御所(9919回)-(2010/11/04(Thu) 16:09:09)
     ここのところ執拗にmasao氏などによる政治問題に関する発言が続き、私やあるいは鶴さんからの反論があり、ヒロさんやGENANAさんも交えて延々と続けられていますね。
     その内容にいちいち詳細に立ち入るつもりもないけど、概略はこういうことではないのかということで、私としてはしめくくりとしたいと思って書きます。
     まず、いみじくもjackさんがmasao氏について「上から目線」ではないのかとの指摘がありました。そして彼は「自分は確信犯的にそうしてるのだ」と返した。
     いかなる意味での「上から」なのでしょうか?かって沖縄における米軍基地反対闘争にふれてmasao氏は「沖縄は反日活動家の巣窟と化してるから掃討戦をやる」とmasao氏は言い放ちました。あたかも戦前の奥野誠亮のような特高課長気取りではありませんか?あるいは思想検事かな?
     その意味では今後masao氏について特高課長と呼びたいものです。しかし、この特高課長は治安維持法に基づいて私や鶴さんを逮捕したり拷問したり獄死に至らしめる権利も実力も持ってはいないでしょう。さいわいにも少なくとも今のところはね。
     masao特高課長によれば私や鶴さんは「売国奴」だそうです。けっこうなことじゃないですか。そういう意味ではすくなくとも私に関していえばmasao特高課長以上に確信犯ですよ。
     昔、酒飲みの場で「ごめんですむなら警察はいらない」とか誰かが言ったのに対して、「じゃあなくしちゃおう」と返した友人がいました。「売国奴」?けっこうじゃないですか、国家などなくしてしまえばいいのです。

     そもそも国民国家の成立はヨーロッパにおいてもせいぜいナポレオン戦争の頃でしょう。それまでの封建領主や貴族、僧侶階級による権力の独占にたいして、第三身分といわれた平民階級、つまりブルジョアジーがフランス革命によって権力を掌握していこう国民国家という概念が成立した。
     それまでの軍隊が絶対主義権力に金などで雇われた傭兵部隊だったのに対し、国民軍というかたちが成立して、戦法もがらりと変わった。そこにナポレオン軍が連戦連勝を続けた秘密があった。
     それは戦う側の相手にも影響をおよぼし、プロイセンなどにはヘーゲル国家論やクラウゼヴィッツ戦争論などの哲学を生み出した。いっぽう、社会的政治的権力を手中にしたブルジョアジーはイギリスを中心に産業革命を勃興させ膨大な富を原始的蓄積により獲得した。ここにイギリスの市場を神の手とする経済学が発展していく。
     しかし、そうした国民国家の政治的社会的経済的成立はその中から早くもその隠された矛盾を暴く力を生み出していった。
     マルクス、エンゲルスは国家とは搾取階級と被搾取階級との非和解的階級対立を隠蔽し、被抑圧階級を軍事的官僚的統治機構によって抑圧するものに他ならないと喝破したのでした。
     そうして早くも、1871年、普仏戦争においてナポレオンの甥ナポレオン三世を皇帝とするフランス政府はプロシア軍に破れ、首都パリの防衛すら放棄したときに、労働者階級を中心としたパリ市民は蜂起し、自ら自身の権力を樹立したのです。短命に終わったとはいえ、コミューン三原則といわれる、代議員のリコール制度、報酬は平均的労働者の収入を越えない、執行機関と立法機関の統一と言われる画期的な原則や、女性もふくめた普通選挙、教育など画期的な方策を生み出していったのです。
     マルクスはこのパリコミューンに関して、史上はじめての、そして新たに発見された労働者階級の権力の形態であると評価したのです。共産党宣言において、「万国の労働者団結せよ」と呼びかけたマルクスは、パリコミューンに労働者階級の権力の成立する根拠と形態を見たのでした。それは国民国家を越えていく全世界の労働者階級の連帯しうる、権力の形態にほかなりませんでした。
     
     このマルクスの精神を受け継いだはずの社会主義インターナショナル(いわゆる第二インターナショナル、その主力はドイツ社民党でしたが)において何が起こったでしょうか?
     第一次世界大戦の勃発、それは、帝国主義間の資源、領土をめぐる争闘戦にほかならなかったのですが、カール・カウツキーを首領とするドイツ社民党はドイツ議会において戦争予算に賛成の票を投じたのでした。唯一反対票を投じたカール・リープクネヒトを除いてです。
     ここに、ロシア社会民主主義労働党(多数派、ボルシェビキ)を率いるレーニンは第二インターナショナルの破産を宣告し、「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」とのテーゼを明らかにして、ドイツ社民党の少数派であったローザルクセンブルグなどとともに第三インターナショナルの結成をめざして活動を開始したのです。

     そして、ついに1917年ロシア革命に成功する。コミューンを意味する、あるいは評議会とも訳されるロシア語のソヴィェトに全権力を掌握したのです。この時点ではけして一党独裁などではなかった。革命的諸派の結集するソヴィェトがコミューン的権力を形成していったはずです。しかし、レーニン自身、社会主義革命はロシア一国では成立しえないと考えていたにもかかわらず、ヨーロッパにおける革命勢力の無残な敗退ののち、ソヴィエト権力は変質をとげていってしまった。それはローザルクセンブルグなどが「ロシア革命論」において危惧していた、コミューンの独裁から党独裁、そして少数者の独裁へと道を開くものでしかなかったのです。
     レーニン自身、ボルシェビキ党の変質に気づき、二度にわたる脳卒中の発作から死へと向かうなかで、スターリンが掌握しはじめたわけのわからぬ書記局権力に対して最後の闘争を挑みますが、病はその貫徹を許さなかった。

     歴史は一直線には進まないとはいえ、その後の後退に次ぐ後退は目を覆うほどのものとしか言いようがないものでした。スターリンの腐敗堕落は反対派を何百万人も粛清し、自らの独裁する党を道具に、ソヴィエトを社会主義の祖国などとよび、第二次世界大戦においては「大祖国戦争」などと呼称したのでした。
     しかし、世界的な階級闘争はまがりなりにも進展し、とりわけアジアにおいて中国革命の成功として、いわゆる「社会主義圏」は拡大していった。しかし、それは最初からレーニンなきあとの根底的な矛盾をはらんだものでしかありませんでした。中華人民共和国は社会主義を目指すものではなく、事実上の共産党独裁下の多民族国家として奇怪な姿で出発しましたが、一方で毛沢東による反右派闘争から文革へといたる激動の中ではあたかも社会主義をめざすかのように言われました。しかし毛沢東死後、共産党独裁は維持したまま市場主義経済で発展をめざすなどますます奇怪な国家へと変貌してきています。

     戦後日本においては、第二次世界大戦後の東西冷戦構造の深まるなかで、かっての戦争を推進した勢力は「反共」のために温存され、とりわけ昭和天皇は戦争責任を追及されることもなく生き延びた。一方、日本共産党は民族解放民主主義路線をとるなかで、議会主義に転落し、コミューンの精神を忘れ果て、議会での一票獲得に汲々としつづけたにすぎない。
     他方、戦後、スターリン批判から出発した日本の新左翼各派も1960年代、ベトナム反戦闘争を果敢に戦いながらも、その後は引き続く内ゲバ、内々ゲバという腐敗形態に堕し、ほとんど消滅状態にある。私自身はといえばその渦中にあったが、なんとかスターリン主義への根底的な批判と、階級闘争を牽引しうる「不断に自己批判する」党の建設を目指そうとしたが、己が隊列の中にも、思想的にスターリン主義でしかありえない部分がくりかえしたち現れてくる中で、いわば心は折れ、一切から身をひいてしまったのが、すでに20数年も昔になろうかという時間だ。以来、日雇い労働者として十数年、フィリピンのど田舎でのしがないダイビング屋稼業も十数年。三つ子の魂百までもじゃないが、初心は忘れないにしても、もはや日暮れて道遠し、次の世代にゆだねるしかなかろうと思う今日この頃。

     というわけで、だいぶん竜頭蛇尾になったが、世界史における国家と革命の概観みたいなもんです。なにもこんな、なぜか棲みついてしまった「地球の田舎暮らし掲示板」でおだをあげる必要もなかろうにとも思うが、しかし、わが特高課長masao君は、その任務だけでは気がすまないらしく、あまねく「愛国教育」をほどこしたくてたまらぬたちらしい。
     ときには反論もしてみたが、いっこうにその任を控えようともしない。のみならず、最近の尖閣諸島領有問題で機は熟したとばかりにたいへんな鼻息だ。
     そもそも、言ってきたことだが、かっての戦争は合法だ、正しかったなどと言い募ることは、同じことをまたやりたいのです、という宣言にほかならない。まあ言ってることは自民党右派の安部晋三や田母神なんやらいう元航空幕僚長とかの言うことと同じではあるが。しかしまたかっての戦争と同じことをやるぞという宣言などがあれば、かっての戦争で被害をこうむった朝鮮半島や中国大陸の住民が黙っているはずがない。彼らとの未来志向の関係などありえないですね。未来志向の関係は過去の真摯な反省の上にこそ成り立ちうるものでしょう。

     さて、尖閣諸島の領有問題。井上清氏も言ってるが、こういう問題はいたく国民感情というか、民族感情を刺激するものらしい。冷静に議論すればいいのではないかと思うのだが、感情的にたかぶったような声ばかりが一時聞こえてきたような気がする。
     私は井上清氏の論旨に全面的に賛同するものではない。それはたしかに中国側の国民感情、民族感情におもねるような側面があると思うからだ。ただしかし中国側の領有権主張には一理あるし、歴史的な根拠も示されていると考える。

     中国の評価についてはGENANA氏とも衝突した。というよりかなり突っかかってこられたという実感だ。1930年代の中国共産党の民族綱領みたいなのを引き合いに出して、彼は言う。「昔は彼らも理想というものがあった」と。それはおそらくまだレーニンが生きていた時代に言われていたことを、コミンテルン(共産主義インターナショナル、第三インター)
    の民族綱領に反映させたものだろう。「少数民族の完全な分離独立の権利」を保障すべきだと。しかし、それは一方で、コミューン的権力の国際的連帯の可能性とのセットにおいてのみ言われていたことではないかという気がする。むしろ、そこに集中しうるという自信があるからこそ、「完全な分離独立の権利」を言いえたのではないだろうか。
     もちろん、それを単に否定して多民族国家としてではあるが国民国家の枠内にとどまるべきとの路線方針は批判されるべきだ。だがその批判は、コミューン的権力間の国際的連帯の可能性という方向においてのみ未来を切り開く可能性を持つ。
     今日の中国国家権力はチベット、ウィグル、その他の民族とともに、コミューン的連帯をもって打倒されるべきものである。とこのように言うべきであろうというのが、私の変わらぬ立場である。
     中国人の一部が沖縄を解放せよと言い出した?それミサイルだ戦車だ竹やりだと騒ぐのではなく、日本本土ー沖縄ー 中国本土をつらぬくコミューン的結合をもって帝国主義政府、スターリン主義政府を打倒せよ。レーニンテーゼ『帝国主義戦争を内乱に転化せよ』はいまなお生きている。
     
     うさ
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