| うささんのお母様にパイプ椅子がお役に立てば良いんですけどね。 私のほうはおふくろが一月末に他界しまして半月、いまだ何んやかんやと尾を引いてる状態です。
ここでは皆さんの色々な話が伝わってきて渡比した時もすごく役に立ってます。感謝。 私は資料やら言い伝えはあまり信じないほうです。近代中国に関しては実際にその時代に行った人達に聞いても解らない事が多い。 私の中ではまずはその人達の話す事が信頼できるかどうかから始まりますけど。 父親(武漢、重慶、ビルマ)、叔父(南京、上海)、父親の友人(南京、満州)、義兄(大連の大学講師退職後現在は天津在住)、等々。 みんな自分の信じている真実を私に伝えてくれるんですが照らしあわすと私の頭の中では筋道が通らなくなってきます。
歴史に関しては時間がたつほど後に生きる者のご都合か?、????が多すぎる気がします。 関係ない話ですけど 古くは大阪にある日本最古のダム狭山池、そこの土手に古墳時代の石棺があるのは小学校の頃から知ってました。 古墳の土盛りの一部を土手に利用したんやと思い込んでましたけど全く違ってた。何トンもある石棺をU字溝や水抜きの「ひ」に加工。 飛鳥時代初期に作られた池やから古墳時代の末期にもかかってるはずやのに墓荒らしも良いとこ、石棺を使うなよと思う。 死者の弔いに関してたかが数十年で何んで?、何が変わったんや?。 今では改修した土手の一部に誰のものか解らんむき出しの石棺がゴロゴロ並べてある珍しい光景です。
その頃に生きた人の心情や宗教観に興味を持ったんで色々調べたり聞いたりしたが私にとって結局は「解りまへ〜ん」のまんまやな。
次回の渡比は五月中旬のつもりです、ビザが延長されたんでちょこっとゆっくりのんびり。
オスロブ亀御殿フロントのバーベキューも食べに行きたいなぁ。またよろしくです。 フー
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