| ワテが革命を起こして、旧政府軍は日本に亡命、その後、奇襲攻撃をされて革命軍の金庫を強奪する事件がありましたが、そこから後は、革命軍の対処により次の攻撃は全て空振り、旧政府軍は、軍資金も切れ、丁度身内の中で一番認めてもらえてなかった父親の死を受けて、アメリカ在住に対する日本在住をしていたのですが、身内の敵が居なくなって、密かにフィリピンに戻っております。
この第一戦線は、互いに敵の「死を待つ」と言う、しょうもない闘いになってます。
しかし、ここで新たな第二戦線が始まろうとしとりますがな。(何故か楽しんでるワテ) これは、我が家の隣の空き地を買って、家を建てたトニー・ウォンと言うインチックとの闘いですわ。
彼は、隣を買ってからサーベイを入れて、我が家の護岸に赤いペンキで線を引いて、タイトルに付属の図面を持って来て、「あんたの塀は、私の土地に入ってる。」って、抜かしたのが5年前の事。
「アホ抜かせ、お前は空き地を見てうちの塀も見て、買ったのやろ。 俺は、あんたが示すガバメントから買ってないよ。 前のオーナーが示すポイントを元に塀を作ったのやぁ〜。」 これに対して、「では、裁判所で決着を!」って、彼は言った。
もう、それから5年も経ってるけど、裁判所からは何も来ない。 つまり、相手は相談した弁護士から「勝ち目が無いよ。」って言われたに違いない。
さぁ、最初のそのやりあいが有って、このインチックはせこいことを繰り返す。 ワテは、いつも正々堂々と言い合っている。
彼が、バランガイに訴えた。 隣の家の鶏がうるさい。 と。 バランガイの人は、立場上、我が家に来て鶏の数を数えて帰った。 バランガイ・キャプテンを始め、7人のコンシハル(村会議員)の大半は知ってる人だから、そのままで却下。
ワテが怒って、コンシハルに彼の家を建てるのに、パーミット(建築許可)を取って無い。 それは、フェンスを作った時にも取って無い。 そして、今、彼は「ガーデン・スティリゾート」をしているが、ビジネス・パーミットも取って無い。 おまけに、ヘルパー小屋を壊してリゾート用の家を建てたのも無許可だよ。 更に更に、裁判での決着も得ずに、丁度、ワテが手術前・後でベッド生活の時に、違法な埋め立てをして、それを我が家の裏側の線よりも出して、かつて赤ペンキを引いた所まで被せて来たんですわ。(まんま、南沙諸島での支那のやり口)
そして、我が家の塀の彼側の内側に建てていた、連れ込み部屋を壊して、新たな2階建てを建てかけているのが今。 今日の昼間に工事人と話をしたら、インチックが出て来たから、またまた言い合いになった。 我が家の塀と彼の建てる2階建てルームの間隔は、10センチも無いのよ。
そちらがそうなら、ワテは、・・・・ってんで、町役場のそうした部署の担当を呼ぶことにした。(これも、闘鶏友達)
1ヶ月ぐらい前になるのですが、我が家と反対側で彼の土地に隣接している家のスコットランド人のフランシスともお近づきになったのですが、彼もインチックには腹を立てている。 まぁ、バランガイの殆どの人が・・・・・ですけどね。
さぁて、これがどうなるかは、ここに書いて行きましょう。
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