| 「田舎暮らし」と言うことについて このボードで、日本の田舎暮らしについての記事があったが、それについて書きそびれたので私なりの意見を書きたい。 私が生まれたのは東北であるが、そこは市内だったので(昔はみな田舎)田舎暮らしと言うにはほど遠い場所だった。しかし関東近郷の田舎に暮らすこと35年、田舎と言われるところで暮らすうちに色々な功罪が有ることを知った。有る意味では、私は日本の田舎暮らしのプロ?でもあると自画自賛している。
田舎と言われる地域で生活する者は、総合扶助的な精神が大昔より綿々と続いており、脆弱な地方自治体の財政では住民が満足できる行政サービスが享受出来ず、住民が力合わせて住みやすい地域を作ることが、どこの田舎でも極当たり前になっている。運命共同体と言ってもいいかも知れない。 これは現在でも続いている。詳細な功罪については省くとして、私がPnaの尻を追ってまでこの国への移住を決意させたのは、やはり私の年齢である。若いうちは地域内の色々な活動に参加して、住民との触れあいや会合に精力的に参加してきたが、独り者となった私の将来に不安がよぎったのである。 現在は生活改善が叫ばれ、一部都市化された考え方も導入されてきてはいる。もちろん、実際に住まわれている方の中にも一切、地域の活動に参加されない方々もいる。それはそれで致し方ないのであるが、例えば自分の家が火事になったときに、結局最初に駆けつけてくれるのが地域の消防団なのである。それ一つ考えても地域に無関心ではいられない、と言う考えを持つのが良識ある日本人では無いだろうか。 葬式などは、昔から住んでいる方は自分の家で葬式をあげるのが普通である。葬式をあげるにはその地区内住民が総力をあげて挙行する。夏祭りなどもそうである。中には私は神教じゃないから関係ないと言う方もおられた。これらは最低でも2日間、通常は3日間仕事を休まなければならない。余談であるが、私は葬式のノーハウを何十回と参加する内に学んでしまった。 つまり、高齢者になってももちろん生きてはいけるが、年に幾つもの行事を持つこのような日本の田舎暮らしに、独り暮らしの私は恐れを感じてきたからである。しかも、私が住んでいた地域もやはり高齢化し、このまま住んでいたら毎年のように葬式をあげるような事態になるであろうことが予想された。 しかし、日本の田舎にはそこにしか無い素晴らしさがあることは言うまでもない。今考えれば、日本で使っていた田舎暮らしの軽トラックや耕耘機をはじめ農機具等一式を全て人に差し上げてきたのが悔やまれる。ただ、全部持ってこられる財力が無かったから致し方ないが。 そんなこんなで、ヒロさんが提唱する「地球の田舎暮らし」と言う言葉そのもにも惚れたし、ヒロさんのこの地で実際行っている田舎暮らしに賞賛している一人でもある。(でも闘鶏はしないょ〜。私は野菜派でいきます)
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