| きょうはヒマなもんで、未来予想図Tさせてもらいま〜ス ^^v
少しの蓄えをして2008年1月下旬セブに渡航したキリギリスなわたし。 そこには、温かく迎えてくれる温厚な日本人のホストファミリーが、 少なくとも三家族はある。 2008年の7月下旬、帰国を予定していたが、以前にも増して親身な ホストファミリーのおかげで、自身の蓄えは温存できている。 あと、半年この生活続けよう。 2009年のシノログが終わって、仕方なく帰国。 日本の真冬は寒い、20才代にしてはヤリ手の派遣社員が、 わたしの戻るべきポジションに居た。 あてにしていた仕事が無くなっていた、これは想定外。 また結婚しようかな、フィリピンに嵌ろうとして嵌ってからは、 日本にほんとに彼氏と呼べる男はいなかった。 大手の派遣会社に登録したので、短期の仕事はもらえたが、 不定期で以前の半分のペースでしか蓄えることができなくなった。 わたしの将来のことを考えると、面倒だった結婚をまたするしかないのかな、 でも、フィリピンも好きだ、まだ諦められない。 こちらから結婚したくなるような金持ちで、まだ30才代のフィリピーノが はや中年に差しかかったわたしなんかに本気で振り向くわけもないし、 ビサの欲しい貧乏フィリピーノなら、たとえハンサムでもこちらから願い下げ。 では、日本のこの大東京のわたしの周囲で手っ取り早く結婚相手を探してみる。 いない。 最後の手段として軽蔑していた結婚相談所に内緒で会員登録して、 週末のお見合パーティーに参加してみた。 ヒドイ、めかしたオッサンばかりだ、ヤバイ。 2009年も師走前、日本ではわたしの幸せを見つけられずに、 またセブに渡ってしまった。 帰国は翌年、この年も派遣会社に登録するしかなかった。 フィリピン人との結婚はもう考えてないが、日本人も難しそうだ、この歳では。 そうだ、セブにはそこそこ裕福な日本の年金生活者が居るではないか。 年末に近くなってのセブ渡航後に、わたしが結婚できそうな相手を 消去法ででも探してみることにした。 結果は、キモくなって渡航早々に探すのを止めた。 まもなく新年を迎えたセブの昼下がりは、いつものようにただひたすら暑かった。 40才代も後半、女性の婚期の上では冬の時期に入ったともいえるのに、 人生第二の伴侶をまだ見つけられない、いまさらみちのくの実家へも帰れない、 安住の地のないキリギリスなわたしがあった。
せっかくなので、向こうにも貼っちゃいま〜す…^^;;;
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