| 命の値段・・・・・・・・
よく聞くフレーズであるが、ナンセンスである。 命の値段なんて言っている事がである。
命には値段がない。ただ、高貴なだけである。
それは、人間でも豚でも、犬でも、猫でも、昆虫でも、植物でもである・・・・・・
百歩譲って、フィリピン猿もである。
ニワトリもであるのだ!
人間の欲望、好奇、単なる悪趣味の為に、その高貴たる命をもてあそばれている。
闘鶏を文化とほざく奴がいる。文化とは違う。もしそうなのであれば、奴隷と猛獣の戦いもそうであろう。闘牛、ハブとマングースの戦い同様 これは早急に禁止した方が良いのである。
人間が馬鹿でなければ、もし、文化と主張するのであれば、その文化をほかの形で残しうるのである。
闘鶏を見ても、誰も文化などとは考えていない。
ただ、貧困を助成するだけの悪習であろう。
私は、リサールを否定してはいるが、唯一つ、闘鶏を悪習と位置づけ、その著の中で痛烈に弾劾している事だけは評価する。 これは、フィリピン大学、マニラ校の著名なリサール研究の第一人者である故某名誉教授と同じ見解なのである。
スペインの戦略的統治戦術として、キリスト教徒共に流布された悪習に間違いなく、単純、無脳味噌のフィリピン猿を感化させるのに非常に有効な手段であったのだ。
更に、間抜なのは、その統治時代から趨勢が経つに及んでいる現代においても、その幼稚な策略に掛かっている事を理解できず、綿々とニワトリを殺し続けているフィリピン猿の低脳、低俗性なのである。
闘鶏などにウツツを抜かす輩に良民はいない!と、断言する!
願わくば、ヒロさんが、一日も早く、この悪習の罠を振りほどき、その真実に目を向けてくれる事を祈る。
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