| セブのお金事情
<センタボというコイン>
今は殆ど目にしない1センタボから始まって5センタボス・10センタボス・ 25センタボスがある。 つい先日、ATMで5センタボスが「捨てて」あったので、拾ってかあちゃんに渡した。かあちゃんは、フフフと笑った。 「テメェーー!!ザケンジャネェ〜!センタボを笑う者はセンタボに泣くんだぜ〜!」と叫びたかったがヤメタ。どうしてこの国の人はお金持ってないのに小さなコインを笑うのかなと思う。時たま路上でも見かけることがある。捨てていった比人の顔が見たい!って、かあちゃんもその一人だった・・・。 現在、このセンタボの硬貨はお釣り以外には使われていない場合が多い。しかし本日、我がサリサリで25センタボスを4枚持ってあめ玉2個買っていったオジサンがいた。
<1ペソというコイン>
1Pと言って侮っては行けない。この間、店の帰りにスタンドに寄って燃料を入れようとして駐車した。そこに小学校1年生くらいの女の子が、手を差し出してお金頂戴、と言ってきた。雰囲気からしてとても空腹のようだった。私はもともと乞食にお金を恵むことはその乞食を逆にダメにする、と言う変な固定観念があってセブ市を歩いていてもただ単に手を差し出す乞食には殆どお金はやらない。逆に一生懸命お金を貰うために何かやってる人、又は視覚障害者にはあげるようにしている。さて、その子があまりにも可哀想に見えたのでポケットを探ったら1Pしか入ってなかった。しょうがないので1Pだけあげた。燃料を入れ帰ろうとしてふと道路際を見たらさっきの女の子が小さなパンにかじりついているではないか。1Pだって結構役に立つのである。 店にいると良く訳の分からないお貰いさんがやってくる。こういう人達にはかあちゃんは1Pをあげてるようだ。かあちゃんは、その日の気分や、来たお貰いさんの人数を見て1Pから3Pの幅で差し上げている様である。
<5ペソというコイン>
5Pは2年前はちょうど10円だった。この5Pもなかなか使い勝手がよい。トライシケルの1区間が5Pだ。5Pコインを二つ持っていれば、田舎では結構の距離が乗れるのである。義弟リチャードの息子二人が毎日私にブレス(目上の人の手を頭につけて挨拶する)するので、5Pずつあげてやっている。我がサリサリでは5Pで買える物は結構多い。コーヒーの小袋、水道水を凍らせた氷(1P)、あめ玉とか、スナック菓子等だ。私の子供の頃も、1日の小遣いが10円だった。と言うことは今のセブは、ちょうど50年以上昔の日本の物価と似てる面もあるようだ。 更にはこの5Pコインの威力を紹介しよう。色々な街の市場には駐車場を設置してるところがある。こういった場所に自称交通整理員がいる。ダナオのガイサノの前には浮浪児みたいな子供がいっぱいいて車のセキュリティをやらせてくれ、と集まってくる。さて、こんな時には地元の人々は大概1〜2Pだ。しかし私は5Pあげることにしている。いつも行く私の家の近くの市場では5Pくれる私の顔を覚えていて、優先的に空いている場所を教えてくれたり、丁寧に車が出やすいように誘導してくれたりしてくれる。 この5Pをけちった日本人が、タイヤをパンクされて、何倍もの修理費を払った話を聞いたことがある。吝嗇も結構だがお金は墓場までは持って行けないからね〜。
<10ペソというコイン>
このコインはコインの中の王様だ。なんといったって流布してる数が少ない。銀色のコインの真ん中に茶色の色したデザインが何ともいい感じを醸しだしている。5Pのコインならそう惜しいとも思わないが10Pコインだけは使う時にちょっと惜しい気がするようになってきた。
<20ペソというお札>
20Pは今のレートだと45〜46円位だろう。この金で何が買えるか。コカコーラ小瓶(1本5P)+バーベキュー(2本で10P)+ボソ(2個で4P)=19Pで1Pのお釣り。昼飯完了! このような金銭の感覚から、今回買った中古車テラノ30万Pと言う額まで感覚的に把握しておかないと、高い買い物なのか安い買い物なのか実感できないのである。日本と比べて上下の幅の広い金銭感覚が要求されてくる。何と言っても床屋さん代金が25Pからある国なのだ。 私が移住のためセブに来た当初は、財布の中身が500P札で唸っていた。財布が曲げられないくらい入っていた。不安だったし、金銭感覚がまるっきり無く、観光客のそれだったのだ。今は?500P札が1枚か2枚、それも有ったり無かったり。100P札5〜6枚、20P札10枚以上、小銭に入れに小銭ザラザラ。これでもこっちではチョットしたお金持ち。
<50ペソというお札>
そうそう、この50P札って少ないんだよね〜。50P札って意外に使い勝手が良い。とても頑張ってくれた人にチップとしてやるのに100Pじゃー多すぎる。かといって20Pじゃチョット失礼かな、なんて思うときに十分発揮する札である。単純に考えて日本での貨幣価値の500円に似てる。日本じゃコインだがコッチではお札だ。使い方によっては結構喜ばれる額のお札でもある。
<100Pいうお札>
庶民の中では一般的に流布されている高額紙幣だ。我がサリサリで100Pめいっぱい買い物をしてくれるお客は上客中の上客だ。だがそんなお客は滅多にいない。タクシーに乗るにしてもセブ近辺なら殆ど100Pでお釣りが来る。しかし、最近タクシーには滅多に乗らないのでどうなってるのかなぁ。ガソリンがまた値上げされたし。でも、財布が100P札で満ちていれば怖い物無しなのである。
<200Pいうお札>
殆ど見かけない札だ。日本の2千札と一緒だ。この200Pの価値判断がなかなか出来ない。この札が回ってきたときは単独では使わず、大きな支払いの時にのみ使うことにしている。
<500Pいうお札>
多少の小金持ち人間には非常に使い勝手の良い札である。しかも、少々多額の支払いをするときも、日本人の記憶に残りやすいのだ。1枚で千円チョットという案配だ。本来なら円感覚を捨てなければならないのだがなかなか難しい。だが、我がサリサリでは、500Pの札で買い物をする客が2〜3人来るとお手上げである。チョピっと買ってお釣りを請求されると小銭が無くなってしまうのだ。アヤラやロビンソンのボスコーヒーでも、500P札でコーヒー頼むと、細かいお金ありませんか?と必ず聞かれる。私はかたくなに「ワラッ!」と答えるようにしている。大体我がサリサリとは客の数が違うではないかい!
<1000P言うお札>
一般庶民には不必要と思われるお札がこの千P札である。大体、千P札で少額の買い物をしてお釣りが貰えるのは、大型店舗のSMやアヤラ、レストラン、ホテル位のものだ。しかし、この間土地買ったとき、千P札が入ってないと袋でも持っていかなければ札束の山を運ぶことになる。やっぱり一般庶民には縁遠いお札のようである。
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