| マテナさんが長文で書いてくれたので、部分部分でレスすると誤解されそうなので、そのまま入れて間にレスしますわ。
>この人の事は私も全く知らないですし、ヒロさんが友人と呼ぶ人が信頼できない人であるとも思えませんのでこの場合にはあてはまらないと思いますが、恩義を感じた相手に対しては自分を犠牲にしてでも恩をかえす、と言う仁義を通す律儀なイメージの日本人ほど危険度が高いと思われる心配が頭をよぎってしまいました。
ありがとうございます。 ワテは仁義を守る硬派の日本人ですわ。
>その頭をよぎった心配と言うのは、
>日本では相手を信じる事が美徳であり、信じられた方はそれを裏切らない努力をする。 >一度出来た信頼関係は簡単には崩さず時には命をかけてでも、自分にかけられた信頼を守ろうとするということです。
ハイ、それが普通ですね。 悲しいことにワテは、その日本でも何度も裏切りに会った経験がある懐の甘い男ですわ。
>私も子供のときに走れメロスという話を何回か聞かされました。 >古代ローマの哲学者の実話がもとになっている話らしいですが、子供のときから人の信頼を裏切ってはいけない、人を信じる事は美しく正しい事で、人を疑う事はいけない事で醜い事だ、と教わってきたように思います。
ワテもそうでした。 人の信頼を得ることが一番難しいと教えられた。
>このメロスの時もメロス(実話ではピンティアス)の代わりに人質になる事を承知したセリヌンティウス(実話ではダモンという哲学者)は周りから無謀な狂気だと批判され、まさに処刑される直前まで友情という名の信頼関係が己の命を捨ててまで守るべき物なのかどうかという問いかけをその国の人に与え、最後にはメロスが処刑直前に現れ友の命のみならず自分の命まで救ったと言う話のようですが、フィリピンに来てから思ったのはこの国でメロスの話をしても日本人と同じ思考を持つ人はかなり少ないのではないか、と言う事です。
マテナさんの言うように、かなり少ないとは思いますが皆無では無い。
>恐らくは「自分が死ぬのはいい。でも自分が死んだら自分の子供や家族が困る。」というフィリピンでよく聞く”言い訳”っぽい理由がついて結局は信頼を守る為に自分の命を投げ出すという考えを理解できる人は非常に少ないような気がするのです。
確かにそうでしょう。 しかし、この国でもホセ・リサールやらアギナルドと言った命を賭けた人も少なくありませんよ。 命を賭ける気が無くても争いで命を落とすこともあるでしょうから。
>日本人がフィリピンで一旦信頼関係を築いた相手に裏切られたと言う話は嫌と言うほど聞かされましたし実際に私も何度か経験しています。
ハイ、それに関しては、見込み違いが多いのでは無いかな? 人に取り入る術を天性で持っているこちらの人にスッカリはまるようではダメ。
>けっしてフィリピン人が信頼できないと言っているのではありません。自分の利益と損失を天秤にかける時に信頼を失う事の重みが日本よりも軽い社会構造になっていると言う事をいっているのです。
それも事実ですね、この国の階層社会の現実を知れば、動機はいくらでもありますからね。 でも、サルでは無い人も多いのですわ。
>立場が対等であるかと言う事も重要な要素の一つなのかもしれませんね。 >心を許す友人を作るなら出来るだけ経済的に自分より下の人でない方が安心できるのはあたりまえの事なのかもしれません。
それは、言えてますけどワテの現実では、下の人でもそうでは無い人を知っています。 その人に裏切られたら、これまでの裏切り以上のショックを受けるでしょう。
>日本では信頼が非常に大切。 >フィリピンは信頼も大切だが他人、まして彼らにしてみれば夢のような生活をしている外国人に対して裏切り行為をしたからといってそれほど大きな社会的な損失は受けない。それよりも困っている家族を守る為なら目の前の利益が大切。と考えるのではないかと思うのです。
フツーに起きる事件の原因ですね。(うちのネズミもそうみたいやけど、両親は違っている反応。)
>日本人が時には命までかけて守ろうとする信頼はフィリピンでは非常に軽い物と考えられる事が多いという事を忘れる事はできません。
本物に関しては違うと言いたいです。
>特にこれからフィリピンに来て何かしようと思っている方やまだフィリピン人に大きな裏切りを受けた事がない人は要注意だと思いますよ。
これは、間違いない。 特にビジネスを考える人には、そうしたおこぼれ頂戴組が集まって来ますからね。 小さな約束違反をしただけで、対応を変えているワテですわ。 大きな期待を持たずに付き合って、期待以上の結果にはキッチリ応えるやり方をしてます。(そこでは、札ビラなんて切りまへん。)
応えてくれる人が多いんです。 ヒロ
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