| 何年ぶりか?で新しくスレッドたてさせてもらいます。 サンタさんに借りた本に、フィリピン人タガログ語作家の「マニラー光る爪」という小説があり、読みました。 1968年くらいに書かれたものですから40年も前ということですね。でもそこで描かれているフィリピン人のさまざまな生き方は何一つ変っていないように思います。 貧しい田舎から出てきた若者は女は別嬪なら売春宿に売られ、男は格安の賃金でピンはねすらされながら食うや食わずの生活を強いられる。 唯一大事にするのは親子、兄弟、親友などの関係。逆にそれがしがらみになって、貧しさから抜け出すことができない。 貧しい漁師出身の主人公は、中国人に性的に搾取された恋人がしまいには殺される目に会い、マレー語が語源の英語ではアモックという極度の興奮状態に陥り、中国人を刺し殺します。 そういう主人公とは逆に、人間関係のしがらみを断ち切って、出世して行く友人が登場しますが、作家は否定的な人間像として描いている。 20年近いフィリピン人とのつきあいの中で、私が思うのは、家族、友人などの人間関係を大切に思うのはけっこうだけど、それが「甘やかす」、「依存する」というものに変質してやいませんか、それでは精神文化そのものも頽廃していきやしませんか?まして経済的にまともな生活をつくりあげていくなんてことすらおぼつかないよなぁ、ということですね。 まあこれからもフィリピン人の暮らし方は変らないんだろうし、かえって酷くなって行くような気がしてなりませんですね。
うさ
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