| 誰も説明できないようですね。
視点が全くかみ合わないというか、私には話のすり替えにさえ思えてしまうような回答しかえられないのですよね、この話は。
私は家畜の場合でさえ自分が育てた生き物を殺すつらさを酪農家がどうやって乗り越えているのかがわかりません。
おそらくはつらくてもそれが自分が生きるために必要な生業だという事でしょうし、人々が生きてゆくために必要な食料の供給、という大義名分もあって自分を納得させているのではないかと想像ができます。
でも闘鶏の場合はそのような大義名分は見当たりませんし、どうやって飼い主はわが子を戦場に出すつらさを克服しているのかがわからないのです。
よく軍事国家の頭首が国民をいつくしむような事を言いながらも「国の同胞を守るため」と国民を戦争に送り出しているのをみて、「兵隊一人の命なんてアリンコ位にしか思わないようにしなければ国なんか治められないし、兵隊の士気を高めるためには思いやりを持っている台詞も必要なんだろうな」と思っていました。
闘鶏家もそのような「自分の兵隊を愛している振りをしながら命がけの戦いを強いている」という事なのでしょうか?
それとも全く違う感覚なのでしょうかね。
つらいのかつらくないのか、つらいとしたらそれをどう克服しているのか。
感情論ではなく、闘鶏家が自分の育てた鶏を戦場に送り出す真理を知りたいだけなんですけどね。
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