| 第一に、
我々の歴史は、始めから終わりまで他人に押され、それに寄りかかって生きてきた歴史である。 高句麗、新羅、百済の三国時代にあった隋、唐の漢民族の侵略、唐の支援を受けた、新羅の統一と高句麗流民の渤海国創建及び その反目、高麗朝にあった契丹、蒙古、倭冠などの侵入、李朝中葉までの壬辰倭乱、丙子胡乱を経て、その後、日清戦争と前後した三国の干渉を最後に日本の単独侵略により遂に大韓帝國が終幕を告げるまで、この国の歴史は平安な日がなく、外国勢力の強圧と征服の反復の下に、かろうじて生活とは言えない生存を延長してきた。
このような侵略は半島という地域的な運命とか、我々の力不足のため起きたのではなく、殆どは、我々が招き入れたようなものとなっている。 また、外圧に対して、我々が一致して抵抗をしたことがなかったわけではないが、多くの場合、敵と内通したり、浮動したりする連中が見受けられたのであった。
第二は、
我々の党争に関することである。 これは、世界でも希なほど小児病的で醜いものである。 李朝は結局、この党派の争に明け暮れているうち、亡国の悲運を味合うことになったのであった。
第三に、
我々は、自主、主体意識が不足していた。 我々の波乱多き歴史の影になって固定されることのなかった文化、政治、社会は遂に「我々のもの」を失い、代わりに「他所もの」を仰ぎ見ることになり、それに迎合する民族性に陥らせてしまった。 「我々のもの」はハングルのほかはっきりとしたものは何があるか。 我々はいち早く、我々の哲学を創造しなければならず、独自の文化の形成に進まねばならない。
なぜなら、この哲学や文化は民衆の道標となるからである。
第四に
経済の向上に少しも創意的な意欲がなかったと言うことである。 我々が眠っているあいだに世界各国は、自国の経済向上のため、目覚しい活動を展開していた。 我々は海外進出は念頭におかず、せいぜい座って縄を編んでいただけではなかったか。 高麗磁気などが、やっと民族文化として残っているのみである。 それもかろうじて貴族の趣味に留まっているだけであった。しかし、これも途中から命脈が切れたのだから嘆かわしいことである。
以上のように我が民族史を考察してみると情けないというほかはない。 もちろんある一時代には、世宗大王、李忠武公のような万古の聖君、聖雄もいたけれど 全体的に省みると、ただ唖然とするだけで、真っ暗になるばかりである。
この韓国人の考察はいかが?
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