| Jackさんのいうその後の混乱期とはコラソンアキノが大統領に就任してからの何年間かの話ですね。軍によるクーデター未遂が何回も頻発しましたしね。 私は1986年の12月から翌年1月にかけて、グループでフィリピン、マニラを訪問しました。長い獄中生活から解放されたばかりの元新人民軍司令官だったベルナベブスカイノ=コマンダンテ・ダンテは人民党という合法政党を組織していましたが、そことの交流などが目的でした。 それはさておき、12月27日にマニラ空港に到着するや航空機のドアを開けたとたんに、我々6名全員のフルネームを書いた紙を持った空港職員の制服を着たり警察官の制服を着たりしたフィリピン人がお出迎えでびっくりしました。 たまたま成田で搭乗する前にエコノミーが満席で我々6人にファーストクラスに搭乗するよういわれてそうしていたので、航空会社のパッセンジャーリストを見れる立場の人間もグルで偽のお出迎えを組織したんでしょうね。 で、我々のリーダーが言葉を交わしたところ相互に知っていなければならない人間の名をしらなそうだったので、これは偽の出迎えだということで彼らの指示には従わず、正規の手続きで入管税関を通過し、彼らが4,5人でこっちのほうだというのを無視して、荷物から絶対手を離すなと言い合いながら、外に出るドアに近づいたら、外の道路の金網の向こうに黒山のひとだかりがしてるなかに、ようやく本物の出迎えを発見したのでした。その本物の出迎えはリーダー一人の名前を書いた紙を持ってるだけでした。 もしも気がつかずに偽の出迎えについていったりしたら、全員、どこかの空き倉庫みたいなところにでも連れていかれて、身ぐるみはがされ、場合によっては命も危なかったかもしれないです。 これには後日談もあって、1月5日くらいにマニラ空港から成田行きの航空機に搭乗するために空港にいったところ、警官の制服を着た偽の出迎えの仲間である人間が一人、搭乗口での最終ボディチェックをしていました。みなで、あっ!あの男だ!偽の出迎えに来た男だと指さしていたら、くだんのフィリピ−ノは気がついて、我々にハ〜イなどと笑顔で手を振るんですよね。まいりました。なんという凄い国だろうか、というのがそのときの印象です。 その後、ラモスが大統領になってからはだいぶ治安も回復したんですよね。
うさ
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