| >元々山の手、下町というのは江戸時代の名残りだそうですので、ただ単に庶民的、とかブルジョア、というのとも違うそうですよ。
これには、異説がありますんやわ。 明治以降、東京が首都になって、それまでは関東の荒々しい人たちが、いきなり首都の人になられて(首都を牛耳っていたのは、薩長土佐だけど)、態度が変わったことをまずお忘れなく。
それ以前は、奈良に800年、京都に2000年間首都があったために、京都には独特の文化が育った。 同時に、奈良とも京都とも近かった故に、大阪は商業の中心地になってましたがな。
蝦夷地の昆布が未だに大阪の昆布屋が押さえているのもその辺からでんがな。
そこで、関東の人にはご存知無いかも知れないけれど、阪急電鉄の小林一三翁のやられたこと、それまで発展していなかったところに電車を走らせて、沿線の宅地開発をやった。 この宅地売り出しのセリフが山の手だったんですよ。 大阪・神戸間には、阪神工業地帯の海辺を阪神電車、その上が国鉄で、阪急はその上だった。
宝塚の温泉地に電車を走らせ、歌劇団を作ったのも一三翁(晩翁) 近江の出身である西武が真似たとしても不思議では無い。
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