| マテナバゴンさん、ありがとう御座います。
>ただ、どんな立派なかたの考えも、それはあくまでもその人が通って来た中で >培われた価値観であって、他人の考えを否定する為のものではないと言うこと >は言えるのではないでしょうか。
全く同感です。 如何に尊敬できる方の素晴らしい方法であっても、その方の経験や環境があって こそ出来る事も少なくないので、参考にはしても真似は出来ませんし、自分なり にその根底を学んで、消化するように心掛けております。
>例え共感する人が誰もいないとしても、逆に世界中の人が賛同したとしても、 >それはそれでその人が持っている価値観であって、何人もそれを否定出来る >ものではないと言う事だと思います。
はい、私は技術屋の端くれでしたし、技術開発室に長く席を置いていたので、 所謂常識でも鵜呑みにしないで自分で確認しますし、安易なゲイゴウを良しとし ません。 これが誤解を生んだり、マイナスに働く事もありますが、今更変えら れそうもありません。 (悲笑)
横道ですが、この国に来て妻の親族会議的なものに同席する事があるのですが、 エレメンタリーを卒業したばかりの子も加わる事が多く、その発言を両親(子供 の祖父母)を含めて対等に聞き、議論しています。 (この点は、日本の一般的な家庭より良いと思っております。) そして、その子の意見には、大人達とは違った視点や受取り方があり、おおいに 参考になる事もあります。
横道**2、以前住んでいたアパート(マボロ)のテラス(3F)の向いにサリサリ があり、その前が子供達の遊びばになっており、喧嘩も度々ありました。 その喧嘩の処理は、現在の日本とは異なり、1対1・2対2、或いは2対3程度 (体力差は明確であっても)であれば、大人達は棒きれ等は取り上げますが、 ある程度の決着がつくまでは見守っていました。 そして、多くの場合は決着がついたら、無理矢理にでも握手をさせ、何やら両者 に2〜3こと話していました。 残念ながら、何を話したのかは判りませんが、叱り付けるのではなくアドバイス をしていた様です。 これも私は、フィリピンの良いところだと思っています。 まあ、それが他の地域 でも同じとは言えませんが。
>誰にも何が正しいなんて事は言い切れない、議論や意見の交換というのはその >中での自分の価値観を形成する為の意見の発表会に過ぎねいような気がします。
概ね同感です。 ただし、人間としてやるべき事ではない事を、多くの人がやっているからと言う 理由(言分け)でしようと(している)場合等は、言い切っても良い様に思いま す。 勿論、非合法も。 (”悪法も法である。”とは言い切れない場合もありますが。)
>楽しく、得るものがある意見交換が出来る事は私にとっては非常にうれしくあ >りがたい事です。これからもどんどんいろいろな事を教えて頂きたいと思いま >す。
異議なし!
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