| 痔論・好論・好々爺
私はこの国に来たのは、異文化交流が出来るから来た。実に手軽に来られる国だったからだ。私はバリバリの日本人だ。人間とは持って生まれた長年培われた性(さが)は変わらない。いや、変われない。脳生理学等でも自明の論だ。
だからこの来易い国で自分の異文化交流を試してみたいという気に駆られたのが渡セブの根本理由である。
この話はこの位にして、まず、私が心がけたのはこの国の人の、自己の非に対する表し方を如何に変えるかってことだ。
長い植民地の歴史と劣悪な気候風土で育った人々は、決して自分の非を先に認めてはいけないと言う思考経路を作り上げた。その思考経路をどうやったら遮断できるか、を熟慮したこの3年間。愛の理論とはほど遠いものだった。
つまり、バリバリのフィリピン人である妻の思考回路をどう日本的にねじ伏せるかにあった。日本に嫁いで行ったPnaはそれなりに日本文化に馴染み、それなりに生活している。しかし、それは根本的にはなんの変化もないのではないだろうか。女性は生きるためには男性以上の順応力を発揮する。それは一つの個性の発揮と思っている。
さて、我が家の話であるが、自分の過ちや失敗を「スミマセン」とか「ゴミンナサイ」とかの日本語で言うな!と常々言い聞かしてきた。しかし、夫の私が何に怒りを感じてるのか理解できない妻はやはり拙い日本語で、ここで言っておけばカタが着く、と思って連発する。その連続であった。今も継続している。
これが国際結婚の基本ではないだろうか?
言葉の問題?それは枝葉末節!英語がある。日本はどれほどカタカナ英語が氾濫していることか。それを使えない人は早々と日本に撤退すべし!
私の場合、たまたま良いフィリピン娘に当たった、と言う方もおられる。それも理解できるが、日本の、日本人としての教育を受けてきた日本人が、うまく丸め込められないなら、フィリピンと言う国に対して何も言う資格無し、なのではないだろうか。
すべてはその人の生き方から来る生き方、つまりおのれをどこまで異文化交流と言う視点にたてるかに決まって来るように思えるのだが。
この掲示版には日本女性もおられる。是非、海外移住の何とやらについて話が弾むことを期待したい。
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