| いわゆる、薩摩、島津藩による琉球処分までは、琉球王朝は独立した王国として、大陸の中華王朝に朝貢貿易を通じて服属していた。 よく朝貢というと、中華以外の民が貢物を持って平身低頭していたかのように思われがちだけど、実際には化外の民として、中華王朝の文明にまつろわぬものとしての扱いではあったけど、持参した貢物以上の文物をたまわって恩恵を受けていたんですね。 だから日本の戦国時代の大内氏などはひんぱんに朝貢を望んだが、認めてもらえなかった。他方、琉球王朝のほうは実績もあり、大内氏よりもひんぱんに朝貢貿易をしていた。 徳川鎖国体制がしかれて、その末期には薩摩は武力で琉球を服属させるとともに、長い琉球の大陸王朝との関係を利用しての鎖国破り、密貿易をおこない、経済力をつけて、倒幕にむすびつけた。
うさ
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