| 『ネット上で1本の声明文が静かな話題を呼んでいる。生活保護問題対策全国会議の「扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために」だ。
民法は、直系血族(親子など)と兄弟姉妹には互いに扶養する義務があり、夫婦は互いに扶助せねばならない、と記している。今回話題になっているのは直系血族、中でも「成人した子の老親に対する扶養義務」の問題である。
声明文は先進諸国との比較を通して、「老親を扶養すること」まで定める日本の扶養義務範囲の“広さ”を訴えた。厚生労働省の資料をもとに、英国やスウェーデンなどでは原則、親が子(未成年)を扶養する義務や配偶者間の扶養義務はあるが、成人した子の老親に対する扶養義務はない、としている。
同会議の代表幹事である尾藤広喜弁護士は、「家族による私的扶養から、社会による公的扶助へ。それが先進諸国での近代化の流れだ」と語る。「日本の制度もその方向へ向かってきた。老親扶養の義務が民法に書かれているのは、戦後の改正時にイエ制度から完全に脱却しきれなかった結果だ」 (朝日新聞)』
「先進諸国」ってどこのことだろうか。欧米諸国のことだろうか。欧米諸国の近代化が絶対的な価値だろうか。この主張の根底には欧米諸国の制度が正しいという暗黙の前提がないと成立しない。
日本の民法上の扶養親族の規定が戦前のイエ制度が色濃く残っていたとしても、子が親の面倒を見させてもらうことのどこが悪いのか。親が自分を犠牲にしてでも子供を育て、子が大きくなって親の面倒を見るってことが「イエ制度から完全に脱却できなかった結果」で悪しき風習なのか。
世界には色々な価値観や文化が存在する。先進諸国と言われる国のやることがすべて模範と言うことではない。ましてや、英国やスウェーデンを事例にあげるのは、おおきな問題だと思う。スーウェデンでは社会保障を充実させるために、どのくらいの税率が施行されていると思うのか。国民が高税率を負担しても公的制度で親の面倒を見るとしている国と比べて、扶養親族の範囲を比較してもおかしいと思う。
このように思うのは、私の頭が古すぎるからでしょうか。
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