| 案山子さん、何度も言っていますが、ご自身の主張はご自身で説明するものですよ。
さらに、付け加えるなら「昨南昨東」の解釈にしても私がこのように読むということをあなたが論破しても「昨南昨冬は南は東」と読むことの証明にはならないのですよ。 同様に『もし、貴方が上記の解釈が西暦200年における一般的解釈だというなら、 其の根拠はなんですか? もし、一般的な解釈ではないとするなら、一般的でないとする根拠はなんですか?』を私が述べて、それをあなたが論破しても「昨南昨冬は南は東」と読むことの証明にはならないのですよ。
おわかりになりますか。それらのことで私を論破しても「昨南昨冬は南は東」という証明にはならないのです。あなたが詭弁家であるなら、それで溜飲が下がるだけのことです。詭弁家はことの真偽よりも勝ち負けですから。
ことの本質は『乍南乍東の乍の挿入記述は南は東と読む』ことが正しいのかということです。相手に対して、その読み方を求めて、それを論破しても「本質」の解決とは異なります。問題点をすり替えて議論を進めてもつまらないことです。
本質の解決から、それていってしまうので書きたくないのですが、【『乍南乍東』を誰でもが納得できるように三段論法で展開するよう示唆したのはあなたでしょ。】というのは、的外れで恥ずかしことだと私は思います。
『ちなみに、演繹法の三段論法は恒真式である。三段論法というのは, P→QかつQ→Rであるときに, P→Rであるという論法のことである. したがって, これを論理式で表すと以下のように表せる.
{(P→Q)∧(Q→R)} → (P→R) = not { (notP ∨ Q) ∧ (notQ ∨ R)} ∨ (notP ∨R) = (P ∧ notQ) ∨ (Q∧notR) ∨ notP ∨ R = {(P ∧ notQ) ∨ notP} ∨ {(Q ∧ notR) ∨ R} = (not Q ∨ notP) ∨ (Q ∨ R) = (notQ ∨ Q) ∨ notP ∨ R
上式において, "notQ ∨ Q"は明らかにいかなる場合においても真の値をとることが分かる. つまり, "{(P→Q)∧(Q→R)} → (P→R)"はいかなる場合においても真となることが分かり, これによって三段論法は恒真式であるということが示せる. つまり,三段論法には間違いが無いということ。間違いがあるときは、P→Q、Q→Rに間違いがあると言うことだ。
論理学の授業をする気はないが、 理解出来るか否かは別として一応基本的なところだけを記述した。
↑ 嫌らしい表現だと思いませんか。』という書き込みを私はしています。
『俺は論文を公開しているのではないから、ここまでやる気はなかったが 理解出来るか否かは別として一応基本的なところだけを記述した。』 というあなたの書き込みに対する『論理学の授業をする気はないが、 理解出来るか否かは別として一応基本的なところだけを記述した。』というダイレクトなやり返しですよ。 そして、そのような書き込み方法は『嫌らしい表現だと思いませんか』って結んでいるのです。 これだけ、はっきり書いてもおわかりいただけたなかったのでしょうか、付き人の案山子さん。
このような議論をする上での問題点は、私の頭の中のことで対応ができるのですが、文献を用いての議論となると文献の適否の検証に時間がいりますので即答できないことがありますのでご了解を。
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