| 最近、そんなセリフを日本人から聞いたことがあります。それにたいして中国人は助け合うとか? 歴史的、時代的、社会的背景を踏まえないでいくらそんなことを言っても、まったく意味が無く、ほとんど何も言っていないに等しいですね。 フィリピンに移住し始めた18年くらい前にも同じようなセリフを聞いたことがあります。そいつはNTTを早期リストラされたやつで、いかにもアタマが悪そうでしたが、逆になんかそういう意味の無い意味のありそうなセリフを言うことでつっぱらかってでもいたんでしょうかね? 最近、同じセリフを聞いた日本人も流れとして、そういう日本人同士のつきあいの流れの中にいるようです。意味の無い言辞が人口に膾炙しちゃってるんでしょうか?
そもそも歴史的に何百年も前から中国大陸住民は食い詰めて、流民のような形で、同郷、家族で海外への渡航費用を工面しあって、世界中に拡散していった。 助け合わねば生きていけないから、必然的にそうなる。 彼らは小資本で始められる、包丁を使う料理人や、床屋、裁縫屋などの開業形態が当初は多かったと言われていた。三刀とか言ったのではないかな? そういう開業資金すらないものには、出身地を同じくする華僑同士の無尽講みたいので開業資金を用立ててやった。 彼らに同じ中国人同士だからという意識があったかどうか?そもそも清朝時代ですら近代的国民国家ではないし、何千年も前から「帝力いずくんぞ我にあらんや」といって生きてきた彼らにとって、ただ郷里を同じくし、したがって言葉も同じくする人たち同士のつながり以上の意味はなかったはずですね。
たいして、比較するのであれば、日本人は、つい150年近く前までは鎖国で海外渡航などは死罪にあたいしたし、軍国主義時代には国家を背景に出ていったはずだし、一旗組とか言われた海外殖民の連中にしてもいざとなれば、大日本帝国に頼っていたのではないかな?まあ棄民というような人たちもかなりの数、いたにはいたようですが。 戦後の一時期の高度成長期は大企業がバックの場合がほとんどだし、助け合う必要もない。何かあれば本社が助けてくれる。 まあ、いまは、高齢で年金だけでは日本で食えない人が海外移住とかみたいな形をとり始めてはいるようですが、海外ならば少ない年金でもなんとか食えるから来てるのであって、やたら助け合う必要も無い。
これだけ違う、日本人と大陸住民の国外、海外への進出の事情や社会的背景の違いにはふれることもなく、「中国人同士は助け合うけど、日本人は助け合わない」などということは、まったく何を言っていることにもならないにひとしい、そう思いませんか。
ああ、暇じゃ、本来ならそれなりに忙しかったはずなんだけどなぁ。
うさ
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