| >あのビルに民間航空の旅客機が突っ込んだのは事実。
その辺りの上のリンク先の記述です。 *********************************************
WTCビルが標的にされた理由の2つめは、地上建造物としてどのビルよりも超高層にそびえて当てやすかったことである。そして驚くべきことに、WTCビルに突入した航空機はいずれも米軍基地から飛び立ち民間航空機に見せかけた無人のダミー機だった。遠隔誘導されたダミー機はビル壁面に照射された誘導用レーザーマーカーの反射光を探知しながら攻撃目標に見事命中、しかも格子状に組んだ頑丈な鋼鉄の外壁パネルを突破する攻略として胴体底部のポッドからミサイルまで発射していた(かねてからボーイング社は民間旅客機をベースにミサイル装備の哨戒爆撃機を製造する準備を進めていた)。ビル壁面に照射されたレーザー光スポットはカメラプラネットやMSNBCのビデオ映像で、またミサイルが発射されたことを示すオレンジ色の閃光は、フランス人カメラマンが撮影した有名な「消防士ビデオ」(消防士に変装した特殊工作員誘導のもと偶然を装って撮影させた)やドイツ・シュピーゲルTVのビデオ映像などで明瞭に確認できる。
2機目の衝突を目撃したFOXニュースリポーターのマーク・バーンバックはこう証言する、「確かに民間旅客機のようには見えなかったし、機体側面に窓がなかった」「空港で見たことのある通常のフライトではなかった」「機体前部に青色のロゴがあり、この辺では見かけない飛行機だった」と。ほかにも「民間旅客機じゃなかった」「何のマークもなかった、エンブレムもロゴも」「大きなグレーの飛行機だった」「黒かった、軍用機のように見えた」など多くの目撃証言が出ている。また、NASAドライデン飛行研究センターで航空宇宙プロジェクトのディレクターを任されるなど37年以上の実績がある元NASA上級幹部およびアメリカ航空宇宙学会(AIAA)アソシエート・フェローのドウェイン・A・ディーツはこう考察する、「WTCタワー2号棟に衝突した175便は、ボーイング767-200型機だった。レーダー情報の分析に基づき、米国家運輸安全委員会(NTSB)は510ノットで衝突する直前の対地速度を報告しているが、最大360ノットの運用速度および最大410ノットの急降下速度をはるかに超えていた。私の考えでは可能性は以下のとおり、(1)これは標準の767-200型機ではなかった(2)レーダー情報にいくらか障害が起きた(3)NTSBの分析に誤りがあった(4)767型機は飛行エンヴェロープ(飛行可能な速度・高度の範囲)をはるかに超えて飛び、コントロールが可能で、比較的小さなターゲットに何とか命中した」
元米空軍大佐ジョージ・F・ネルソンは航空機整備の分野において30年のキャリアを持ち、航空機事故調査委員会メンバーをも歴任したエキスパートであるが、数多くのビデオクリップや写真を精査した上で次の見解を述べた、「南棟タワーにぶつかった飛行機はユナイテッド航空175便ではない」「それは民間旅客機ではなく、替え玉である」と。また、20年以上の熟練パイロット、グレン・スタンディッシュも様々なビデオクリップを観察した結果、その航空機は「胴体の底部に余分な装置が取り付けられているように見えるところから、ユナイテッド航空175便ではありえない」と述べ、やはり20年以上の経験を積んだ定期航空パイロットのニラ・サガデヴィンも、崩壊したWTCビルの現場で見つかったエンジンの写真を検証し、「貿易センターで見つかったエンジンはCFM-56というもので、それはボーイング767型機で使われているものではない。南棟タワーにぶつかったのは175便ではなく、別の航空機とすり替えられたものだ」と答えている。
そうなると、実際に就航していたはずの民間航空機はどうなったのかという疑問が残る。これを解くカギはアメリカ運輸統計局(BTS)の「航空機離発着記録」にあった。当局の公式発表によれば、WTCビル1号棟に突入したアメリカン航空11便(ボーイング767-223ER型機、92名)はボストンを出発、ペンタゴンに突入した同航空77便(ボーイング757-223型機、64名)はダレスを出発し、ともにロサンゼルスへ向かったことになっているのだが、実際はどうだったか? 通常11便と77便は定期便として就航しているが、なぜか9月11日だけ記録が抜け落ちて(No data found)運航スケジュールになく、その両機の代わりに臨時便と思われる記録のない航空機がそれぞれ離陸していることがBTSの「航空機離発着記録」 *6 から判明したのである。
BTSデータベースによると、事件前日の9月10日、11便と同じ機体登録番号(N334AA)を有するアメリカン航空198便がサン・フランシスコからボストンへ向けて出発したことになっているが、翌11日のデータを確認してみると到着時表示が「0」になっており、198便はボストンに到着していなかった。同じく77便と同じ機体登録番号(N644AA)を有する民間旅客機も、8月と9月、ボストンとダレス、そのどちらともBTSデータベースにリストアップされてなかった(ただし8月終わりから9月初めにかけて77便は機体登録番号N624AAを有することが多く、9月10日は181便としてボストンに就航している)。以上から判断すると、11便と77便は事件当日就航していなかったことになる。通常、破損した航空機は24時間以内に登録が取り消されるが、11便と77便の機体登録番号(N334AA/N644AA)にかぎっては、2002年1月14日に登録が取り消されていた。
また、2号棟に突入したユナイテッド航空175便(ボーイング767-222型機、65名)はボストンからロサンゼルスへ、ペンシルヴェニア州ピッツバーグ郊外で墜落したユナイテッド航空93便(ボーイング757-222型機、44名)はニューアークからサン・フランシスコへ飛び立ったことになっているが、なぜかBTSデータベースにはどちらも滑走路上で25分〜27分間待機した後、到着地変更(Diversion)になっており、どこへ向かったかは記録に残されていない。では到着地変更された93便と175便はいったいどこへ行ったのか?
ここに興味深い記事がある(GlobalFreePress, "911: The Cleveland Airport Mystery")。それによると、9月11日午前10時10分に69名の乗客を乗せたデルタ航空1989便が、ついで午前10時45分には200名の乗客を乗せた「謎の旅客機」(Flight X)がオハイオ州クリーヴランド・ホプキンス空港に緊急着陸したという。175便と同じボストン発ロサンゼルス行のデルタ航空1989便は通常の滑走路に着陸したが、なぜか「謎の旅客機」の方は通常の滑走路ではないNASA施設内のまだ計画中だった滑走路に着陸した。午前11時15分、後に到着した「謎の旅客機」の乗客から先に解放され、1989便の乗客は着陸2時間20分後の午後12時30分になってようやく機内から解放された。それから1989便の乗客はFAA空港ビルに移ったが、「謎の旅客機」の乗客らはNASAグレン研究センターへと連れて行かれ、FBIエージェントによるインタヴューを受けている。空港内にいた人たちはただちに帰宅するよう命じられ、自分の車やバスを利用することも禁じられた。マイケル・R・ホワイト市長は記者会見で、「爆発物を積んでいる恐れのあるボストン発ボーイング767型機をクリーヴランド・ホプキンス空港に緊急着陸させた」「空港の安全なエリアに移動し、避難させた」と述べたが、結局爆弾は見つからなかった。AP通信が伝えた記事によると、ユナイテッド航空の見解として「その飛行機は93便と判明」「もう1つのフライト、175便についても深く憂慮している」、つまり93便は安全に着陸し、175便はWTCビル突入から2時間経っても依然行方不明のままだという。だが後になって、この記事は「不正確な事実だった」と撤回、削除された
BTSデータベースによると、事件前日の10日、93便と同じ機体登録番号(N591UA)を有する民間旅客機が2機、同時間帯に存在していたことになっている。1機(78便)はサン・フランシスコからニューアークに午前6時54分到着、もう1機(507便)はボストンからシカゴへ向けて午前7時39分に離陸していた。その日ボストンにN591UAが到着したという記録はなく、ニューアークの方だけ午後7時40分に離陸した記録が残されている。
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