| 2005/11/27(Sun) 08:10:26 編集(投稿者)
↑ この上の記事手直ししようとして、間違って削除キー押してしまいました。 ごめんなさい。
樫本さんの案内で砂州から島に入り、佐久山さんが住むという大きな建物に向かう。 途中の広場では目をきらきらさせた子供達がパンツ一枚の姿で走り回り、土と日焼けで真っ黒になりながら屈託のない笑顔を振りまき近寄ってくる。
セブの街ではなかなか見ることの無い光景だ。近くに学校があるらしく子供達が合唱する声が聞こえてくる。
木木の間から大きな建物が見えてきた。日本のかやぶきに似たコゴンという植物を束にした物で葺いた屋根に木材を使ったつくりでコンクリートがほとんど見えないこの島の環境にマッチした建物だ。
建物に近付くと放し飼いの黒い犬達が私たちに向かって吠え始めた。フィリピンには狂犬病があると聞くので、一瞬ひるむが、すぐに奥から大男が出てきて「こんにちは〜」と挨拶をしてきた。すると今まで凄い勢いで吠えていた犬達が吠えやみ尻尾を振って近寄ってくる。 素晴らしい連携だ。
樫本さんの紹介でこの島のホテルマネージャーをしている大男の大木さんと挨拶を交わし佐久山さんの書斎に向かった。
島の南側の海岸をボホール島を見ながら歩くと2分ほどで佐久山さんの書斎についた。 佐久山さんは竹と椰子で作った壁の無い小屋でパソコンを前に作業をされていたようだが、われわれに気づくとのんびりとした口調で「いや〜どうも〜!こんにちはぁ〜、いらっしゃい〜」と眼鏡をはずしながら立ち上がり「どうそ、どうぞ」とわれわれを笑顔で迎えてくれた。
実際に会うと写真で見るよりも一層やわらかいイメージの人で、気さくな印象を受けた。 樫本さんが私を紹介したあとその書斎と呼ばれる東屋に上がり振り向いたとたん固唾をのんだ。
その場所から見えるのは普通の日本人が仕事場としてイメージする場所とはあまりにもかけ離れた環境なのだ。
程よい風が吹き抜ける壁の無い書斎、竹の床とコゴンの屋根の間に見えるものは人工物が一切ない飛び切りスケールの大きい絶対的な自然が広がる景色なのである。
書斎のすぐ前は白い砂浜で、わずか数メートル先は浅瀬となって薄緑のまだら模様が太陽の光を複雑に反射させ輝いている。沖に向かってその薄緑が徐々にコントラストを濃くし数百メート先で劇的に変化し一挙に深い青に変わっている。その先には点在する島々が見え、バックの空との境がわからないほど遠くに見えるボホール島。
ここに座るとまさに自分が自然の一部と言うか、宇宙の一部となったような気分にさえさせられる。 「素晴らしい景色ですね。」 こんな環境で仕事が出来る佐久山さんを目の前に、憧れに近い気持ちで思わず言葉が出てしまった。
佐久山さんには私の会社がこれからやろうとしている事を簡単に説明し、いろいろなアドバイスを頂く事が出来た。 初対面の私に対しても長年ご自分の経験の中で培ったノウハウを惜しげも無く話してくれるその姿勢には、自然の中で生きる人間本来の優しさや包容力のような物さえ感じた。
私が考えている自然との共存というテーマに関し、佐久山さんは私の想像を越えたしっかりした理念と美学を持っていて、出来る限り物を持たず、安易に便利にしない。自給自足に近い生活をする。 といったような事を中心に自分の考えに沿った生活をもう十数年前から実践されているようだ。 それでも、島民達に対しては強制や押し付けをせず、あくまでもアドバイスにとどめ、彼らの自主性にゆだねているようで日帰りの観光客用に開放している砂州のコントロールも佐久山さんやホテルではコントロールをせず、島民達に任せているとの事だ。また、数年前には選挙がらみで市長より寄付された発電機により島内に電気が通り、今ではTVやカラオケも使いはじめているらしい。佐久山さんは電気が入る事によってTVなどを通じて押し寄せてくる消費に対する誘惑に島民がどのように変化していくのかを心配しながら見守っているようだった。
また、今日の一番の目的であった不法占拠者である住民に対する考え方についても、あまり先を読みすぎず型にはめ過ぎずに自然体でその時に起こる事に対応して行く、という佐久山さんの手法があまりにも予想外だった事もあり驚きさえ感じた。 表向きはともかくとしても実際にはもっと戦略的にコントロールをしていると思っていたからだ。
将来彼らとどのような関係になるかはわからないが、今自分に出来る事をする事で共存し、信頼関係を築き上げていればそれ程心配するような事は起きない、という話の中には、彼等を見下したり邪魔者と考えたりする雰囲気は微塵もないように感じたのだ。 うわべだけではない本当の共存を考え、人に対する接し方もまた自然体という事なのだろう。
ただわれわれの場合は組織での対応となる為、ある程度は型にはめる必要が出てくるだろう。佐久山さんのように人対人の信頼関係によって治められる部分は限れてくるはずだ。
佐久山さんの例を参考にして島民全員を家族かスタッフのようにしてしまう事で、それをホテルの中に取り込んでしまうと言う方法もひとつのやり方だとは思うが、担当者や責任者が変わる可能性のある組織運営の枠組みの中で、彼らと良好な関係を続ける事はおそらく難しいだろう。
やはり事業として考えた場合島民達には立ち退いてもらい、文字通り一線を画した方が管理は数段やりやすくなると思われる。あとは住民や地域からの反発をどのように和らげるかという事になるだろう。
その他の細かいノウハウについてはホテルの初代日本人マネージャーの坂下さんという方が佐久山さんの考え方はもちろん、現地人スタッフのマネージメントも含め技術的な事は細かい所までご存知らしいが、今は島を離れマクタンの工業団地で働いていて問題がある時だけ島に来てアドバイスをしているとの事だったので佐久山さんに後日紹介していただく事となった。
島をひと回り案内していただいた後、島で飼っている地鶏のスープや周りの海で取れた魚を使った煮物などの質素で贅沢なしかもとびきり美味しい昼食をご馳走になり、島を後にした。
かなり潮が高くなっていて薄い緑だった海の色が青みがかかり今朝は見えた海底も見えなくなっている。
今度はリーフエッジで速度を落とす事も無く一直線でシャングリラに戻る事が出来た。 樫本さんと今晩のミーティングのスケジュールを確認しお礼を言って別れた。
部屋に戻りシャワーを浴び、ミーティング用の資料に目を通す。
今晩行われるミーティングは、観光業界全体で取り組むべき問題に対し意見を交換しようと言うのがおもな目的で今回は第二回目となる。
第一回目は30社ほどの集まりだったそうだが、足の引っ張り合いが多いフィリピンの業界では珍しく建設的な意見が多く出され、政府へのコネクションを持つ人間もセブ全体の利益としての考え方を理解し有意義な意見交換が行われたともっぱらの評判で、今回は100社以上、地元の政治家のみならず国政の下院議員も出席するらしい。
南国には不似合いのビジネススーツに着替え、予定時間の夕方5時丁度に会議室に入ったが、そこはフィリピンタイムと呼ばれるお国柄、始まったのは30分程経ってからだった。
議題として出された内容は、空港職員の不正や、タクシーやポーターの料金。治安や慢性化する渋滞について。労働者の賃金や雇用に関する問題。また、繰り返し叫ばれ現在法案として提出し検討が行われている外国人や外国企業の土地所有に関しての憲法改正に向けての進捗状況。セブ空港の国際便乗り入れに関する問題点や、空港整備事業の資金問題。湾岸開発地域におけるカジノなどの観光利用構想。そして連邦制を取り入れたセブ国際都市計画と言った事を中心に意見が交わされ、現地の人たちの動きや考え方を知る上でそれなりに収穫があった。
会議の後で海にせり出した宴会場で業者親睦の立食パーティーが催された。 会議の時は200名程の人数だったのがパーティーになったとたんに参加者が数倍に増えた。
私は数人の顔見知りと最近のセブの状況についての話を交わし、廃墟になりかけたセブプラザを買取り再生させたマルコポーログループの副社長ジェフリーフラワー氏や昨年マクタンにオープンしたヒルトンのマネージャーのウォルフガンメイヤー氏、セブの実業家マニーオスメニアなど数十人を紹介され何人かの人と名刺交換をした。
パーティーは地元の実業家が多く中には家族で来ている場合もあるようだ。それとやはり韓国人と思われる人がかなり目立つ。
私は急病人が出た時など緊急の場合にヘリを島まで飛ばす事が可能かどうかといった話を、セブで航空会社を経営している石坂さんに尋ねながら飲み物を取りに歩いているとテラスにかたまっている韓国人らしきグループから大きな歓声があがった。皆が何事かと注目しているのを気にとめず大笑いしながら大声で何かを話している。
そのときふとその中の一人の女性に目が止まった、遠くて顔までは良く見えないが、白いノースリーブのイブニングドレスを着て手にはグラスを持っている。 「ひょっとして?」 自分の心臓の鼓動が早くなるのがわかる。
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