| 問題の無い人生や、問題の無い事業などというのはほとんど存在しないんじゃないでしょうか? もしあるとすればそんな人生や事業は誰にでも出来てしまうつまらないものだと思います。
問題があるからこそ、それを乗り越えてゆくバイタリティーと知恵と運が必要なのです。 そういった苦労の中にこそ人生の醍醐味が存在するように思えてなりません。
平凡な人生が良いなら、どうしてフィリピンに来る必要があるのでしょう?
フィリピンで生活しようと考えるだけの勇気がある人が、失敗を恐れ、しり込みして道を切り開かないのでは、フィリピンの生活を墓場の入り口にしてしまいかねないような事の気がします。
老人ホームに入るとか、治る見込みのない病気の為に寝たきりで延命治療を続ける事は、たとえそれを出来るだけのお金が十分にあったとしても、誰が望むのでしょうか?
フィリピンに来て塀の中で身の危険やカモにされまいと気を張りながら、自分の経験も生かす場も無く、ただ死を待つような生活をする人がたくさん出てきては、もったいないと思うのです。 フィリピンの塀の中の生活が健康な日本人の為の老人ホームになってしまっては、ますます文化交流などというものが進むわけもありません。
フィリピンには日本人の経験を生かせる場がいくらでもあるのです。壁さえ取り払えればの話ですが。
日本と違って階級があるフィリピンの社会で壁を取り払うためには、周りの人と近いレベルに見える生活をする必要があります。 だから困窮日本人でなければならないのです。 本当は金持ちでもです。見栄を張る人には向かない考え方だと思います。
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