| ■No49516に返信(TAKASHIさんの記事) >この経験はしないで済むならそれに越したことはないと思っています。
そうですね。好きこんで困窮する人はいないでしょうけど、そうなる時は不可抗力でしょうから。
でも一旦そうなってそこから上昇するのは半端じゃない努力が必要なはずです。
もし私が困窮したら、私には這い上がる自信はありません。
外国人と結婚したおねえちゃんを除けば困窮から這い上がった人の話なんて聞いた事もありませんし、どうやったらそんな事が出来るのか想像もつきません。
私の場合は困窮したくはないですが、きっとそうなるだろうなと思っています。
移住を決めたのも、スクワッターと数年間一緒に生活をして、その生活で十分楽しく生きて行けそうだと思ったので「困窮してもいいや」という事で踏み切りました。
でも、自分で逃げ道を用意して擬似困窮するのと、実際に選択肢が無い状態で困窮するのではぜんぜん違うはずですし、一旦そうなったら抜け出すのはかなり難しいと思っています。
だって、そういう人達の世界は助け合いと馴れ合いで成り立っていますので、一旦その中に入ってしまったあとで自分だけが抜け出すという事は、自分を助けてくれた人達を出し抜くことになるような気がするからです。
自分が苦しい時に助けてくれた人達を置き去りにして、自分だけが抜け出す難しさがあるからこそ、貧困層の人はそこから抜け出せない。
その貧困の構造と一部の金持ちが経済を動かし腐敗した政治家を育てる上層部の構造とが合わさるから「フィリピンは100年経っても変わらない。」と言われるのだと私は思っています。
貧困から抜け出せないのは自分の努力の問題ではなく社会構造の問題ですから、良心を捨てない限りどうしようも無いはずです。
でももしそれが出来る方法があるとしたら、それはフィリピンの社会を変える原動力となるかもしれません。
だから弟子入りなんです。
|